歴史学と歴史認識 |
タクさん(karin625)が「罠にはまる日本」という日記を書いている。最近話題の北朝鮮問題ともリンクするが、いろいろな意味で示唆的な文章だと思う。
そこで、今日はタクさんの議論を受けて、「歴史認識」の問題を考えてみる。 近隣諸国との関係において、絶えず摩擦の種となる「歴史認識」。 度々起こる近隣諸国からの抗議に対し、日本政府はろくに事実確認もせず謝罪する体たらく。 そもそも彼らにとって歴史とは「政治目的に合わない歴史事実は切り捨てるつまみ食い史観」に過ぎない。 だから日本が堂々とそれに異を唱えなければ、アジアの健全な国際協調は生まれない。 極めておおざっぱにまとめるとこんなところだろうか。詳しくはタクさんの日記の本文を御覧あれ。 気になった点をとりあえず2つだけ。 1)中国人や韓国人にとって、歴史が「その場しのぎの政治の道具」というのは言い過ぎ。確かに政治の一手段として意識されているのは事実だし、教育が「偏向している」のも事実だろう。 しかし、私がかつて中国に滞在していた時の経験から言うと、大多数の中国人や、あるいは中国政府の要人などは、「歴史認識」を振り回して日本との関係を悪化させることを好んでいない。日本と既に十分に密接な経済関係を築き上げている中国にとって、それは当然の反応だと思う。 ただし、「歴史認識」を刺激するような出来事が起きてしまうと、取りあえず表向きは糾弾しないわけにはいかない。でないと、場合によっては自分の身が危うくなる。従って心ある中国人にとって、むしろ避けたい話題ですらある。 中国では時折日本での「反動的」な動きに対する報道がある。 例えば「南京大虐殺」を否定する本が出版された、というようなニュース。 著者やタイトルを見てもまるでぴんとこない。日本で話題になったという話も聞かない。 どうせ大したこと書いてないだろうマニアック本を見つけだした中国人スタッフの労力に敬服する(笑)。 もちろん推測に過ぎないのだけれど、この本の著者はそれを知ってほくそ笑んだのではなかろうか。 中国の不当な歪曲報道にもめげず、「真実」を主張する本とその著者。 だからといって本が売れたりはしないだろうが、著述の意図からすれば十分ステータスになりうる。 この場合、中国のマスメディアと日本の作者との間には一種の相互依存関係が成立していると言える。この陳腐なステレオタイプ認識を互いに支え合って、それを飯のタネにしているだけなのだ。 そんな本を取り上げて非難されるなんて、日本人にとってはいい迷惑だ。 そんな陳腐な報道を取り上げて非難されるなんて、中国人にとってはいい迷惑だ。 ただ、それだけのことである。 2)「天皇制は奴隷制度」「中国人が日本を作った」などと誇大妄想的な発言を繰り返す中国人学者については、よく知らない。 きっと、少なくはないんだと思う。 ただしその背景としては、中国における「過剰な業績主義」があることも忘れてはなるまい。とにかく論文を量産することがもとめられるから、一年に10本以上書く学者もざらにいる。しかも、その対象は自分の専門分野とは限らない。先月は中国古代史の論文を書いていた人が、来月はWTO加盟後の国際経済と中国についての論文を書いたりする。 書けることがみつからない人にとって、この手のネタは非常に助かるのだ。アカデミックな価値などそもそもない。 真面目に反論などしたら、馬鹿を見るだけだ。 以上のような状況をつくっているのは、紛れもなく中国の「歴史認識」である。それは一部の政治家の陰謀のせいでもなく、恐らくは歴史教育のせい「だけ」でもない。 いずれは中国自身がこの問題を乗り越えていくはずだが、それには相当の時間が必要だろう。 もちろんその結果、日本人に都合の良い歴史認識にたどり着くかは定かでない。日本の対応がまずければ、事態をより深刻化させる可能性だってありうる。 そう、「歴史認識」とは、そもそも極めて現在的な問題なのだ。過去の出来事が問題なのではなく、その時その瞬間の当事者が自らの問題として解決していくしかないのである。 しかるに現在に至るまで、日本の政治家は「自らの問題」として「歴史認識」に取り組もうとしてこなかった。 従軍慰安婦問題などは、日韓共同研究と称して歴史学者に丸投げである。 学者には歴史学の議論は出来ても、「歴史認識」の書き換えなどできるわけないのに。 日本は罠にはまっているのではない。戦略もないまま自らドツボにはまっているに過ぎない。 歴史学を隠れ蓑に、「歴史認識」から目を背けるだけでは何も変わらない。それだけは間違いない。 |
by hirokira1
| 2004-05-25 23:56
| Cafesta過去ログ
|
<< 続・歴史学と歴史認識 | 適度の緊張関係が必要 >> |