みんな、「便乗犯」だった |
イラク人質の高遠さんが初めて記者会見に応じたという。今でも事件と、恐らくはその後のバッシングから来る恐怖心が癒えないそうだ。
イラク人質事件では、犯人グループが自衛隊撤退を要求したことから、単なる海外での法人誘拐のレベルを超えて、日本中が一種のパニック状態になってしまった。 イラクでは日本人以外にも多くの国々の人々が人質にされたが、日本での反応は飛び抜けて過剰であり、異常であったと言える。自衛隊派遣に至るまでの議論と国民的合意が不十分なままイラクに自衛隊=軍隊を派遣した経緯もあり、ついに向き合わざるを得なくなった危険をどう受け止めればよいのか、誰もが混乱していたのだと思う。 そんな中で、人質を救うために声を張り上げた家族達はメディアによって一方の主人公に仕立て上げられ、その混乱を一身に背負わされることになってしまった。 自衛隊をいい加減な論理で派遣してしまった、小泉首相はじめ政治家達。 いまいち運動に盛り上がりを欠いていた、自衛隊派遣に反対する人達。 ろくに現地取材もできない状態で、しかしこの一大事を報道しなければならない、マスメディアの人達。 戦争と無関係で暮らしてきたのに、突然イラクの現実を突きつけられてしまった、我々一般大衆。 それぞれが自らの混乱と不安、そして主張と反感を人質の家族達に押しつけ、押しつぶしてしまった。「自己責任」の名の下に、人質自身とその家族達に「便乗」することで、それぞれの責任から逃れようとした結果が、あのバッシング騒動だったのだろう。 人質事件のことは、いずれ過去の記憶に埋もれていくだろう。けれど、人質事件に対して日本社会で起こった混乱の経験は、しかと肝に銘じておかなければと思う。 |
by hirokira1
| 2004-05-20 22:43
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