イラク人質をめぐるパウエル発言の“真意” |
昨日の日記について、だっくすさんより阿蘇地☆曳人さん(ID:paris1871)の日記を参照するようにとの助言をいただきました。
私も以前一読した記憶があるだけに、うっかりしていたお詫びも兼ねて、簡単に紹介しておくことにします。 「自衛隊に追い出されるNPO」(2011/11/11付日記) イラクへの自衛隊派兵決定と共に、それまでイラクでの人道支援を担ってきたNGOに対して外務省からの追加援助が打ち切られたため、資金難からNGOが撤退を余儀なくされるという「不条理」が具体的に紹介されています。 イラクにおける自衛隊の「人道支援」が如何に身勝手で役に立たないものか、これだけ読んでも判断できるでしょう。 関心をお持ちの方には必読かと思われます。 以下、阿蘇地さんの日記では触れられてない部分で私が気になっている点について、補足したいと思います。 昨日の日記でも少しだけ触れましたが、4月のイラク人質事件とそれに関連した「自己責任」論の嵐の中で、アメリカのパウエル国務長官がイラク人質に言及したいわゆる「パウエル発言」は、様々な意味でクローズアップされたこと、まだ憶えている人は多いかも知れません。 様々な伝えられ方をした「パウエル発言」の内容について、アサヒ・コムのAICで連載されている高成田享氏のコラムから引用してみましょう。 「一人歩きしたパウエル発言」(「ニュースDrag」2004年5月3日付) (参照→http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20040503.html) イラクで人質になった日本人の「自己責任」をめぐる論議が盛んな時期、TBSの記者がパウエル国務長官にインタビューをして、パウエル氏の見解を聞き出した。そのタイミングといい、内容といい、見事なスクープだった。 この高成田氏による試訳に続いて、氏個人の解釈と、産経新聞の批判記事に対する反論が述べられていますが、イラク人質を含む『市民』の活動を擁護する発言、という受け止め方自体は問題がないと思います。 (なお、“4月28日付産経新聞社会面に掲載された「パウエル発言の引用されない部分」という記事”についてはリンク切れのようですが、Google検索などで大体の内容は知ることができるでしょう。個人的には些末な議論と認識しておりますので、詳述はしません。) ただし、パウエル氏がなぜ「市民の国際協力行動を萎縮させず、奨励するという考え方」(上掲高成田コラム)を貫いているのかという点については、アメリカ通のはずの高成田氏も十分に分析できていないように、今となっては思えます。 そのことに気づかせてくれたのが、昨日も紹介した臼井氏のメールだったというわけです。 昨日と同じくMAMO氏のサイトから関連部分を引用することにします。 で、経過を省いて結果を書くと、本当の人道援助者が、軍人や政治家と一緒くたにされて狙われるということが起こっています。4月のイラクでの日本人人質事件もそのコンテクストで理解可能だし、6月にはアフガニスタンで活動していたMSFが一度に5人殺され、MSFは結局アフガニスタンから撤退する羽目になっています。この事件はアルカイダが犯行声明を出し(実際は違うやつらがやったことがわかっている)、そのなかで『MSFアメリカ軍のスパイなのでこれからも殺す』と言っています。とんでもない言いがかりで、アフガニスタン中でアメリカ軍ともっとも関係がないのはMSFなのですが、明らかに誤解されています コーリン・パウエルはイラクを占領したとき、既にイラクで活動していたNGOを集めて、『これからはアメリカの戦闘部隊の一部として一緒に活動しなさい』といっています。なんで人道援助が戦闘部隊の一部なの? (これがMSFがイラクから引き上げたもうひとつの理由です。MSFが移動しようとするとアメリカ軍が護衛をつけようとし、断ると『では、行ってはいけない』ということが何回もありました。アメリカ軍に守られていったのでは、MSFはアメリカ軍の同胞ですと言っているようなもので、殺してくれと言っているのと同じです) 5〜6月にアフガニスタン南部でアメリカ軍がアルカイダ・タリバン掃討作戦をやったとき、『アルカイダやタリバンの残党がいたら通知してください。もしかくまうと人道援助が止まります』というビラをまいて、これはMSFなどから猛烈に抗議されてさすがに謝ったりしています。人道援助が、アメリカ軍の管轄下にあるかのような言い草です。軍人や政治家は、自分たちが人道援助と一体のふりをし、人道援助を隠れ蓑にして批判をかわして、いい子になろうとしているわけです。・・・(後略)・・・ なぜパウエル氏が「市民の国際協力行動」を「奨励」するのか、おわかりでしょうか? 阿蘇地☆曳人さんが紹介しているような、日本における「人道支援」のあり方は、いわば政府がNGOの「成果」を奪い取ろうとするものと言えるでしょう。【←8/23 21:45修正】 「自己責任」論に見られる「勝手に行って捕まるなんて迷惑だ」というような論調は、この事件によってせっかくの自衛隊の「成果」(それもアメリカに対しての)に傷がつくかも知れないという、どうしようもなく狭い了見の発露に過ぎません。 一方、パウエル氏の発言に代表される「市民の国際協力行動」を「奨励」する立場は、人道援助の普遍的価値を前提とした上で、その人道援助を国家の軍事活動に取り込み、自らを正当化すると共に「人道援助」を最大限利用しようとするものです。 「人道援助の普遍的価値を前提」とするだけ、それすら未成熟な日本などよりましという評価も可能でしょうが、このような行為は人道援助に携わる人々の中立性を損ない、生命の危険にさらし、結果として「前提」である「人道援助の普遍的価値」を損なう、極めて危ういものであると言わざるを得ません。 パウエル発言が紹介された当初、主に日本国内レベルの文脈から「自己責任」論の頭を冷やす「ガイアツ」としての役割を期待されたことそれ自体は、決して間違いとは言えないと思います。 しかし、日本人の相当数が「自己責任」としか認識できなかったイラク人質事件の「責任」を真に負うべきは誰なのかを考えた時、パウエル発言の持つ意味はあまりに複雑かつ深刻です。 つまるところ、少なくとも私は以上のような考察を経て、今頃ようやく全体の構図がおぼろげながら見えてきたということが書きたかっただけなのですが・・・。 皆さんのご意見、お聞かせいただければ幸いです。 |
by hirokira1
| 2004-08-22 22:35
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