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突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 08月 21日
軍事に食われる?「人道的介入」
前回紹介したサイトの中で、気になる続報が出ていましたので、フォローしておこうかと思います。


「すべてを疑え!! MAMO's Site」
(参照→http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/index.html
「日録メモ風の更新情報」8月18日分・19日分

前回は特に内容について紹介しなかったのですが、MAMO氏がMSF(国境なき医師団)JAPAN副会長・臼井律郎氏から受け取ったメールからの引用です。
18日分では主にイラク情勢に関する日本メディアの報道姿勢についての批判なのですが、19日分では「人道的介入」という概念が国家の軍事・政治活動の中にとりこまれつつある現状への危機感が記されていて、いろいろと考えさせられます。

19日分から、冒頭部分のみ引用します。

最近、日本だけでなく、特にアメリカなどは軍事・政治活動を”人道”の名の下にやろうとしています。NATOのコソボ空爆を人道介入と言ったあたりから、軍事・政治目的のものを人道と言い換えることを、盛んにやってます。占領軍の義務である戦後復興を人道支援と言う、というようなことです

で、経過を省いて結果を書くと、本当の人道援助者が、軍人や政治家と一緒くたにされて狙われるということが起こっています。・・・(後略)


軍事活動について言えば、「人道的介入」という言葉が盛んに用いられるようになったのは、冷戦体制が崩壊する1990年代以降のようです。


Googleで検索をかけると、最上敏樹『人道的介入―正義の武力行使はあるか―』(岩波新書、2001)に関する情報がいろいろ出てきて、この問題に関する必読書であることがわかります。

しかし、このページにおける私の基本的スタンスとして、この本を通読してから書く、などという真面目なことは決して致しません(笑)。

その代わりに、ネット上で公開されている書評、あるいは紹介文を読んで、この本の内容を「知った」ということにしておきます。

(a)「IHopeJapan希望ある日本へ」Book Reviewより
(参照→http://www.ihope.jp/humanity.htm

(b)「「人道的活動」を考えるための三冊」
(参照→http://home.att.ne.jp/theta/funyataro/MediaLab2002.htm

「他人のふんどし」を借りるというのは、まさにネット生活の醍醐味ですな(爆)。


この2つを見て痛感させられるのは、我々が「人道的介入」という言葉を如何に限定的にしか使っていないか、軍事行動を正当化する論理として受け止めてしまっているか、ということです。

最上氏はいわゆる人道的介入を、以下の3つに分類しているそうです(以下は(b)よりの引用)。

(1) 加害者、すなわち非人道的事態を引き起こしているものたちに武力攻撃を加えること。
(2) 迫害の犠牲者を救援すること。これは武力行使のほか、UNHCRや赤十字などの人道救援組織による、衣料品・食糧などの物資を届ける活動なども含まれる。
(3) 犠牲者への救援活動に対する攻撃から、それらの活動に従事する人々を守ること。


実のところ、我々が通常考えている「人道的介入」は、ほとんどの場合(1)のみだと思われます。
(2)(3)もその定義上軍事行動を含みうるものですが、(1)との違いは「(人道的)犠牲者への救援活動」に付随する限りにおいてのみ武力行使が許容される、ということです。
本来の「人道」の意味から考えれば、むしろ(2)(3)のケースが本来あるべき「介入」のあり方で、現状の方が倒錯しているとみなすべきかも知れません。

私見ですが、特に1990年代以降「人道的介入」が軍事行動の名目として常用されるようになったのは、冷戦体制の崩壊による「対立」構造の喪失が一因ではないかと思われます。
軍事行動を正当化する論理として、デフォルトに存在する“敵”は極めて説得力を持つものでした。
その“敵”がいなくなった後、新たな正当化の論理として、「人道」「人権」「民主化」などといったフレーズを国家権力が取り込もうとした結果が、(1)の「介入」をクローズアップすることにつながったのではないでしょうか?

そのような軍事的「人道的介入」が横行したために、本来「人道」的活動を進めていた人々が危険な状況に追いやられ、「人道」の回復に支障を来すことになったというのは、あまりに本末転倒なことです。
こうした構図の中で先のイラク日本人人質事件を振り返ると、なぜ彼らが狙われたかというだけではなく、なぜ日本政府があのような態度をとったのか、なぜパウエルが彼らに同情的な見解を述べたのか、初めて理解できるような気がします。


冒頭の臼井氏が所属している「国境なき医師団」のウェブサイトを見ると、我々の「人道的介入」の認識が如何に狭く、身勝手なものかがよくわかります。
(参照→http://www.msf.or.jp/

同じくMAMO氏の「「日録メモ風の〜」7月28日分で、臼井氏は次のように言っていました。
今、アフリカはひどいですが、中でも北スーダンのDarfurというところは、現在、世界で一番の人道上の危機といわれています。
 ・・・MSFは、裕福なイラクなどとっくに後にして、みんなDarfurへ向かっています


「人道支援」の名の下にイラクに「国軍」を派遣して事足れりとしている国の国民としては、ひたすら恥ずかしい限りです。
by hirokira1 | 2004-08-21 22:09 | Cafesta過去ログ
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