「ジェンダーフリー禁止」記事の不可解 |
昨日の日記、思わぬ反響の大きさに驚いてます(^^;
実は今日の日記として、より特殊なテーマを用意していたのですが、こうなるとちゃんと続きを書いておかないと据わりが悪いなぁ・・・。 そう思っていたところに、偶然にも一番星さんからタレコミ情報(!)をいただきましたので、取りあえずそのネタでお茶を濁しておくことにしましょう(苦笑)。 今日付のニュースで、東京都教委が「ジェンダーフリー」と男女混合名簿の禁止を検討しているとのことです。 「「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止」=産経新聞 (参照→http://www.sankei.co.jp/news/040813/morning/13iti001.htm) 「男女混合名簿の見直し検討 ジェンダーフリー禁止も」=共同通信 (参照→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040813-00000097-kyodo-soci) 両者読み比べて見ればおわかりかと思いますが、記事の内容にかなりのずれが見受けられます。 例えば「ジェンダーフリー」について、上の産経の記事では 東京都教育委員会は十二日、「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決めた。 となっていますが、共同通信の方では 学校では使用しないよう通知することも検討している。 という表現に止まっています。 また、男女混合名簿についても、産経では 作成を禁止する方向で検討している。 としているのに対し、共同では 都教委は「どのような名簿を作成するかは最終的には校長の自主的な判断。一律に禁止するわけではない」としている。 となっていて、かなりニュアンスが違います。 日付等から判断して、共同の記事は産経の後追いと見て間違いなさそうですが、そこから推察できる状況の違いを考慮に入れても、なお産経の記事の「不可解さ」はぬぐい切れません。 一つは男女混合名簿をめぐる記述ですが、 また、都内の学校では一部の教職員や市民グループらがジェンダーフリー思想に基づき、「男子が先で女子が後は男女差別」などとして、男女を一緒にして五十音順に並べる「男女混合名簿」の導入を推進している。 と「一部」の人々を非難しながら、その直後には 男女混合名簿については、都は平成十四年、「全校での実施を推進する」などと定めたが、都教委は「男女の性差を否定するような思想に基づき男女混合名簿を作成しようとする動きが見られる」として、作成を禁止する方向で検討している。 と、男女混合名簿の実施がもともと都の方針であったことに触れています。 私は都民でもなく、この問題のウォッチャーでもないので、実際の経緯については知りません。 しかし、都の方針により実施されたのが事実であれば、前半の「一部」に対する非難は筋違いの誹謗中傷と言わざるを得ないこと、明白でしょう。 この記事の掲載に関わった記者・編集担当の見識を疑わざるを得ません。 また、「ジェンダーフリー」に関しては 「ジェンダーフリー」は、その意味や定義がさまざまで、単純な生物上の区別や「男らしさ」「女らしさ」といった観念まで否定する極端な解釈もされている状況。 と述べていますが、末尾の用語解説として 【ジェンダーフリー】社会的に形成された性別「ジェンダー」からの解放を目指すという考え。「男女共同参画社会の実現」から「画一的に男女の違いを無くし、人間の中性化を目指す」までさまざまな意味で語られている。男女混合名簿導入にも影響を与えており、東京都内では今年4月現在、小学校81%、中学校42%、全日制高校83%で、男女混合名簿が導入されている。 と「定義」しています。 ジェンダーフリーの定義としては、例えばWikipediaの 男女の文化的役割であるジェンダーを廃し、個々人がそれぞれの個人としての資質と生物的性差に基づいて果たすべき役割が決定されるべきであるとする考え方、運動。「画一的に生物学的な男女の性差までも否定しようとする考え」ではない。 というのが妥当なところでしょう。 「社会的に形成された性別「ジェンダー」からの解放を目指すという考え」というここでの「定義」もそれほど差があるわけではなく、その意味では「定義がさまざま」とは言えないように思われます。 ただし、その後に続く「画一的に男女の違いを無くし、人間の中性化を目指す」という意味づけとの比較で考えると、産経の「定義」はこの意味づけを許容する表現として敢えて選択されたもの、と見なすこともできます。 この「画一的に男女の違いを無くし、人間の中性化を目指す」という点こそが「ジェンダーフリー」批判の最大の根拠となっていることを考えれば、Wikipediaなどの穏当な定義に「誤解や混乱が生じ」させているのが誰なのか、わかりやすいのではないかと思います。 これまで「南京大虐殺」や「強制連行」で見てきたのと、ほとんど同じパターンです。 もちろん、このような誤解は「ジェンダーフリー」を掲げる一部の過激フェミニストにも見られるようで、その責を産経新聞やその支持者などに「のみ」押しつけるのは正しくないでしょう。 しかし、そういう誤解に立脚しなければ彼らの主張自体成立しないことは、この記事の支離滅裂さからも理解できるのではないでしょうか? この件については、そのうちどこかのメディアでより詳しい解説がなされると思いますので、それを待ちながらしばし静観したいと考えております。 |
by hirokira1
| 2004-08-13 23:59
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