突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 06月 30日
選択肢は育てるもの
今日、不在者投票に行ってきた。
正式には、「期日前投票」と呼ぶべき制度らしい。
このあたりの制度変更はニュースなどでも知ってたはずだが、実際にするのが初めてなのでとまどってしまった(苦笑)。

で、例えばこんなところで再勉強したのだった(あー、恥ずかしい^^;)。
「これでばっちり!!期日前投票制度・不在者投票制度」
(参照→http://www.pref.saitama.jp/senkan/learn/fuzai.html

今回「期日前投票」をしたのは、選挙当日に所用があって投票できないからである。
そして、当日までまだ日があるのに早々と投票してしまったのは、この後どのような政治情勢になろうとも、自分の判断が変わらないと確信できるからである。

これだけいろんな出来事が起き、いろんな法案を通してしまった後の選挙だ。
小泉首相が「世間の意思を問うのは衆院選ですから」とうそぶいても、今後の日本政治に大きな影響を与えることは間違いがない。

心ある人は、時間をかけて各党の公約を読み比べ、どの党を選ぶか悩んでいるのだろうか?

実のところ、私は全く悩まなかった。
今回の選挙で問うべきは、「現状でいいのか?よくないのか?」
たったこれだけ。
どんなに深い想いを自らの一票に込めても、結果として自公連立政権が維持されることになれば、「世論は自公の政策を支持した」ということにされてしまうのである。

まあ、新党首が頑張っているとはいえ、野党第一党がだらしなく見えるという意見にも一理ある。
ただ、この党は現時点で我々日本人が政権与党以外に選びうる、現実的にはほぼ唯一の「選択肢」だということは、やはり認めるべきだろう。
そして、この党の“だらしなさ”は、この選択肢をまともに選ぼうとしなかった、我々に対するツケでもあるとも言えるのだ。

実のところ、私はこの党にそれほど過大な期待をしているわけではない。
だが、この党という選択肢を選ばなければ、その次にあるだろう、より期待の持てる「選択肢」を手に入れることは出来ないと思う。
それがこの党の進化した姿なのか、または自民党を含む他党の進化した姿なのか、あるいは全く別の集団なのか、それはまだわからない。
ただその「選択肢」は、自民党体制を支持し続けることでは決して現れず、育たないであろうということは言える。
「改革」を期待して小泉氏に流れた票の行く末を見るといい。
「自民党をぶっつぶす」と豪語した小泉氏が、「自民党は変わったからつぶす必要はない」とのたまっているが、どちらが変わったかは一目瞭然である。

見るからに魅力的な「選択肢」を育てるには時間がかかる。
だからこそ、本当に危機的な状況に至る前に、じっくりと育てておく必要があるのではないだろうか。

当日投票所に行けない、あるいは行かないかもという方でも、「期日前投票」は区役所に行けば簡単にできる。
毎日午後8時までやっているし、あの“投票ハガキ”すら持参する必要がないらしい。
5分もあれば済むことなので、たまたま近くを通りかかった時にでもさっとできることなのだ。
少なくとも、投票権をお持ちの方は、是非ともその権利を行使していただきたい。切にそう願う。
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by hirokira1 | 2004-06-30 22:47 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 29日
「PL法」から見た平和活動
しばらく前だが、リンク集にも挙げている常岡氏が、日記で「PL法で戦争を…」と題して興味深い文章を書いていた。
(参照→http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=20040606

概要は、アメリカの戦争犯罪をアメリカの法律で、例えばPL法で糾弾できないか?というものだ。

常岡氏の文章を、ほんの一部だけ引用する。

--------
クラスター爆弾にしろ、通常の爆弾にしろ、対人地雷にしろ、
それによって被害を受けた一般市民が、爆弾投下や地雷敷設の責任者、
あるいは兵器製造者を訴えることができれば、
特にそれを一般化することができれば、
高額の賠償金が戦争での非人道行為の抑止力として働く可能性がある。
--------

同じようなことを、宮崎学氏も書いているそうだ。
『キツネ目事件調書』「戦場でモノ拾う好奇心こそ記者の資質 不発弾爆発は米国軍需産業の製造者責任を追及せよ」
(参照→http://www.zorro-me.com/2003-5/ag030520.html
常岡氏も冒頭で触れている、毎日の五味記者が爆弾を持ち帰ろうとした事件に関連した文章である。

「誤爆」や「不発弾の爆発」を、軍需産業の製造者責任として追及しようというアイデアが、面白い。

たとえば、命中率90%を売り物にする某ミサイルが、実際には20〜30%しか当たらないとしよう。
本来の目標から外れた60〜70%の爆発で発生した損害や死傷者は、本来の「品質」を保証できなかった「メーカー」の責任というわけだ。
もし被害者の側が、アメリカのPL法を盾に、その「メーカー」責任に基づく賠償請求をすることができたとしたら?
あるいは、アメリカ人自身が「90%の確率で悪者に当てられるというから戦争に賛成したのに、『品質』を偽ったばかりに『誤爆』が増えてアメリカ人が敵視され、危険にさらされるようになった。損害賠償しろ!」とか訴えることができるとすれば?

戦争がもたらす「不条理」全体からすれば一面的な切り口に過ぎないが、アメリカ国内でのPL法にまつわる「常識」−日本とは比べものにならない金額が賠償される−が適用されれば、たぶんアメリカの軍需産業は大ダメージを受け、アメリカは滅多なことでは戦争できなくなると思う。

ただし、法律的にこのような手段が本当に可能かどうか、常岡氏もわからないそうだ。
私にも、わからない。

それでも、今なお「聖域」として平時の常識から切り離された思考がまかり通る「戦争」を、このように当たり前の視点で考えることは無意味ではない、と思う。
少なくとも、教条的に「戦争はイケナイ」と念仏のように唱えるだけの平和活動よりは、期待が持てるのではないか。
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by hirokira1 | 2004-06-29 21:58 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 27日
ネット時代の「紅白」〜「こんなメディアでした」より
今週は「こんメディ」のおかげでいろいろと書かせてもらうことができた。
面白い文章はいくらでもあるのだが、この調子だときりがないなぁ・・・。

というわけで、第246回「ネット時代の「紅白」」で、ひとまず打ち止めにしようと思う。
(参照→http://homepage.mac.com/konmedi/2000_12_31.html

概要は、ネット上のファイル交換ソフトにまつわる問題とその解決の糸口を、事もあろうに「紅白歌合戦」から読みとろうというもの。
最先端の、これからの課題としての技術と「古きよき時代」の日本の象徴的番組の取り合わせ。
それだけでも、私などには十分に面白い構成になっている。
まあ、取り上げられているファイル交換ソフトがWinnyでなくてNapstarというあたり、時の流れを感じてしまうのだけれど。

ただし、「こんメディ」の主は、そういったファイル交換ソフトがもたらすデジタル化、ネットワーク化の問題にはあまり重きを置いていない。
音楽を「入れ物」(=レコードやCD)に入れて売ろうが、「音楽の中味」(=デジタルデータ)のままで売ろうが、「流通量と歌手の収入が比例する関係」、つまりは「たくさんバラまかないと歌手は儲からない」というシステム自体は変わらないじゃないか、というわけだ。
で、そのシステムがどう変わりうるか、という本題に入っていくのである。
この続きは、やはり本文の方を読んでいただいた方がいいと思う。

この「たくさんバラまかないと歌手は儲からない」というくだりを読みながら、ふと思い出したことがあった。
「違法コピー」による著作権侵害を防ぐためという名目で導入された、コピーコントロールCD(通称CCCD)のことである。
最近は「レーベルゲートCD」なるものもあるそうだが、基本的には同じ代物と考えてよいらしい。
詳しくは、例えばこのサイトあたりが参考になるだろう。
「C堂7」CCCD特集
(参照→http://park10.wakwak.com/~cik/cccd/

いろいろと問題があるらしいのだが、使用する際の問題に絞ってまとめると以下のようになるらしい。
・再生できないプレイヤーが(非常に)多い。
・音質が低下する。
・プレイヤーにかかる負荷が大きく、機器の寿命を縮める(恐れがある)。
基本的に、CDプレイヤーのメーカーで、CCCDの動作を保証しているところは、私が見た限りでは、ない。
もっと正確に言うと、CCCDは正規のCD規格でもない。
あちこちのサイトで「CDもどき」とか「偽銀盤」とか呼ばれているのは、そのせいである。

一部のCDレーベル会社が強力にプッシュしているが、実は当のミュージシャン達にも随分評判の悪い代物らしい。
特に音質の低下は、ちょっと本格的な機器で再生すると歴然だとか。
これで従来のCDと同じ金額で売る神経、私には到底理解できない。

CCCDの問題を見ていくと、「こんメディ」の主が注目している以上にはっきりと、音楽業界の問題点が見えてくるような気がする。
要は「たくさんバラまかないと儲からない」システムにこだわっているのは、およそ音楽をつくるミュージシャン達でなく、「入れ物」で儲けるレーベル会社らしいということだ。

これからの音楽ソフトをCCCDにしなければ、これからの音楽文化が衰退するなどというのは、まず間違いなく嘘っぱち。
少なくとも、著作権法で保証されているような個人使用にかかわる複製の権利を侵害してまで許される手段とは思えない。
もしかしたら既にCCCDをお持ちの方も少なくないかも知れないが、私自身は今後も一切買うつもりはない。
これ以上、このような「CDもどき」が広まらないことを、心から願う。

随分、本筋から話がそれてしまいました・・・(^^;)。

参考までに、リンク集にも登録してある団藤氏のサイトから、関連記事を挙げておきますね。

第63回 「若者・流行歌・音楽文化と著作権」
(参照→http://www.dandoweb.com/backno/990121.htm
第127回 「音楽産業は自滅の道を転がる」
(参照→http://www.dandoweb.com/backno/20021121.htm
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by hirokira1 | 2004-06-27 20:00 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 25日
がんばれ、乙武〜「こんなメディアでした」より
今日は、「こんメディ」の中で乙武クンについて書かれたものを取り上げる。
第215回「私のバリアフリー」
(参照→http://homepage.mac.com/konmedi/2000_04_02.html
と第248回「公傷」
(参照→http://homepage.mac.com/konmedi/2001_01_22.html
がそれである。


彼のようにハンディキャップを持つ人が「普通」に生きていくのは、やはりそれなりに大変なことだ。
別にそれは、段差をスロープにしていないというような、いわゆる物理的な「バリアフリー」の遅れによるもののせいだけではない。
むしろ、彼が持っているようなハンディキャップを「普通」に受け止められない我々世間の「感性」によるところが大きいのではないか。

この2本の文章は、そんな状況の中、過剰なまでに「普通」であろうとする彼の抱えるジレンマがテーマと言えるだろう。
もっとも、特に『五体不満足』が注目された当初においては、それもやむを得ない部分があったと思う。
ハンディキャップがあっても「普通」に生きていることを書いた本がベストセラーになり、その作者として脚光を浴びてしまう。
周囲から求められる「普通」とは対極にある役割を、彼は持ち前のサービス精神で精一杯こなすしかなかったはずである。
不自然なまでにアピールされる彼の「普通」さは、そういう状況の中では“必然”だったといっていい。

ただ、そういった時期を過ぎて、マスメディアの一員としての生き方を選んだ後で、なおそのスタンスに“こだわり続ける”ことに、「こんメディ」の主は違和感を感じているように思える。
ここで問題になる「違和感」の根源は2種類ありそうだ。
一つは既に「普通」ではない自分の立場を受け入れられない、彼の感覚の不自然さ。
もう一つは、『五体不満足』を読んでもなお、ハンディキャップを「普通」として受け止めることのできない、世間の感覚の不合理さ。
前者は彼自身が自分で解決するしかない問題だが、後者は彼にはどうしようもない。むしろ、我々「世間」が解決すべき問題である。

まあ、500万部も売れた本の著者を「普通」に扱えと言うのは、いくら何でも無茶が過ぎるとは思うのだが。
「こんメディ」の主も言っているように、彼は随分「世間のリアクションをけっこう気にするタイプ」で、「メディアに対するサービス精神も旺盛」なのだろう。
きっと彼が抱えているジレンマも、その「サービス精神」が原因なんじゃないだろうか?
そう考えると、彼が「いいヤツ」のレッテルを振り払おうと頑張る分だけ、余計に彼が「いいヤツ」に見えてきてしょうがないのだが・・・。

本当に彼が「いいヤツ」イメージの呪縛から逃れたいのならば・・・
むしろ、徹底的にハンディキャップを「売り」にして、図々しくあちこちに顔を出し、言いたい放題言いまくるくらいの方がいいのではないか。
プロのスポーツライターとして生きていくのなら、そのくらいの図々しさは不可欠だと思う。
ジャンルは違うが、例えばホーキング青山のような「先達」もいることだし。
(参照→http://www.hawkingaoyama.com/
それこそが、マスメディアのような世界で自分の道を切り開く者にとっての「普通」なんじゃないだろうか。

がんばれ、オト君でもあり、いいヤツでもあり、『五体不満足・著者』でもある乙武。(←完全にパクリです。念のため。)

【関連リンク先のURL追記・6/27 21:30】
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by hirokira1 | 2004-06-25 22:11 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 24日
豚に真珠〜「こんなメディアでした」より
今日は手短に。
やはり「こんメディ」から、第230回の「豚に真珠」を紹介してみる。
なぜかって?
昨日紹介した話のすぐ下にあったから。
「適当」でしょ?(笑)

ただし、内容の方はあんまり「適当」には語れそうにない。
1985年に起きた日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故についての話題だからだ。
あまりにいい加減な事故調査報告書の内容にあちこちで疑問が出されている中、さる内部筋から「流出」したボイスレコーダーの内容をメディアがどう扱ったか?という話。
やや長めだが、力の入った文章なので是非読んでいただきたい。

それにしても。
ついこの間、「内部告発者の保護」を謳った公益通報者保護法が成立したばかりなのだが・・・。
到底この内容では立場の極めて弱い内部告発者の保護などおぼつかないというこの法案、あっさり成立してるし。
しかも、これでもかとばかりに様々な重要法案たちがあきれるほどぞんざいに成立させられちゃったので、印象薄いし。
この法律が「内部告発されちゃった者の保護」のために使われないことを祈るばかりである(無理っぽいが…)。

ただ、この回の話を読むと、法律レベルで「内部告発」を保護したってどうしょうもないってことがよくわかる。
受け止める側がその問題の深刻さを理解できなければ、まるっきり無駄骨に終わってしまうのだ。
ここで書かれているのは2000年の状況だが、4年経ってみるとメディアを取り巻く状況はより深刻さを増しているとしか思えない。

「内部告発」のメッセージを真摯に受け止めることができない社会に対して、敢えて危険を冒してまで「告発」しようとする人がいるだろうか?
法律の内容を直したところで、「内部告発」する人がいなくなっては、元も子もないのだ。
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by hirokira1 | 2004-06-24 21:43 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 23日
いやらしい大人が見た「真剣」〜「こんなメディアでした」より
昨日書いた日記で、肝心なことを書き忘れていた。
勝手に紹介したサイト「こんなメディアでした」を訪問するときの、注意書きについて。
基本的には「お笑い」のサイトなので、一応万人向けだと思う。
ただし、やや「大人向け」の「お笑い」という気はする。
それから、特定のスターやタレントの熱狂的なファンという方は、もしかしたら不快な思いをしないとも限らない。
具体的には、木村拓哉や中田英寿、それに坂本龍一あたりのファンは要注意だろう(坂本龍一については、「こんメディ」の主が以前ファンだったせいか、特に辛辣だけど…)。

それから、小倉智昭・福留功男の熱烈な信奉者も(←いるのか?)。

まあ、特定の回を読まなければ済む話なのだけれど…毒がやや強い表現を含んでおりますので、気を付けて服用してください^^;


というわけで、世の中はあれこれと騒がしいですが、しばらくは「こんメディ」におんぶにだっこの日記を書こうかと思ってます。
とりあえず今日は、第231回の「いやらしい大人が見た『真剣』」について。

読んでもらえればすぐにわかるのだけれど、「こんメディ」の主は「かっこ付きの真剣さ」を毛嫌いしている。
「かっこ付きの真剣さ」とは、言ってみれば外部に向けて発せられる「真剣」の押しつけということになるだろうか。
やたらと押しつけがましい割には中味が伴わないことが多い、「かっこ付きの真剣さ」。
この「かっこ付きの真剣さ」が本物の真剣さと同席したときの悲哀が、この回のテーマなのではないかと思っている。

具体的には、やはりサイトで本文を読んでいただきたい。
(「こんメディ」に関しては、中途半端に要約すると折角の面白みが失せてしまうのがつらいところです^^;)

私個人としては、この回で表明されるスタンスこそが、「こんメディ」全体に通底するコンセプトではないかと思っている。
一方で、この回に対する読者の評価は、「二分」とはいかないまでも、人によって異なるのではないかとも思っている。
そもそもここでネタにされている『真剣10代しゃべり場』という番組自体、かなり評価が分かれそうだし。

私自身は、ここで出てくる立川談志の結論にも「こんメディ」の主のスタンスにも全面的に賛同する人間なのでどうにもならないが、この回の趣旨に賛同できない(すなわち談志より他の「10代」達に共感を覚える)人にとって、この「こんメディ」というサイトはどこまで楽しめるものなのだろうか?

是非ともそんな人の意見を聞いてみたい。真剣に、そう思う(苦笑)。
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by hirokira1 | 2004-06-23 21:33 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 22日
リンク先勝手にレビュー(4) こんなメディアでした
勝手にリンク集にアップしたサイトを勝手にレビューするこのシリーズもようやく4回目。
実はこのサイトを紹介したくて始まった企画だということをご存じだろうか?(誰が知るか!)

今まで紹介してきたような、ジャーナリストのサイトではない。
テレビ業界の一員ではないが、その周辺にいる人間と言うことが、文中でほのめかされているだけ。
だが、読み進めていくうちに、そんなことなどどうでもよくなっていくはずだ。
それくらい、このサイトの主(←とでも呼ぶしかないので、以後そう呼ぶ)のスタンスや文章の切れ味は明快である。

そもそも、このサイト(以下、「こんメディ」と表記)のコンセプトからして、極めてわかりやすい。

「いろんなメディアに接して思ったことを適当に書いております。適当にご覧ください。」

「いろんなメディア」と言ってもやはり一番多いのはテレビなのだが、ホントに「いろんな」メディアを題材にしている。「電車の吊り広告」なんてのもある。
なにより、「適当」というのがいい。「適当に」書かれたことを「適当に」読むだけなら、誰でも気楽にできる。

ただし、書かれた内容が本当に「適当」かといえば、そんなことはない。

「こんメディ」の記事のパターンはいくつかあるが、最も一般的なのは「枕」の話から「本題」へと展開するパターンだろう。
「枕」の話は大抵、「こんメディ」の主が直接体験したり見聞したりしたことか、誰にでもピンとくる身近な話である。
つまり、大抵の人には体感的に理解可能な、生活感覚に根ざした話。
それから、「本題。」という接続句を挟んで、メディアで見知った「本題」の話に入っていく。
「本題」での軽妙な論理展開だけでも面白いが、ここで肝心なのはその論理が実は「枕」の話とほぼオーバーラップするということだ。
そして、大抵はそこから導き出される「オチ」が必ずついている。
「適当」なんて、とんでもない。極めて精緻に編み込まれた仕掛けを通じて、笑いながらもその趣旨に納得させられてしまうのである。

「こんメディ」の最大の売りは、何と言ってもこの「生活感覚」を駆使した「笑い」だろう。
一通り読ませてもらった感想から言えば、「こんメディ」の主の知的レベルも教養も、あるいは視野や価値観の幅の広さも相当のものだ。
恐らく素の状態で議論しても、私などは到底太刀打ちできそうにない。
しかし単にメディアの伝える内容を「論理で斬る」のではなく、普通の生活感覚の中に置き換え、なおかつ「オチ」をつける。
その労力を想像するだけで、頭が下がる想いがする。

実は、「こんメディ」の「弱点」(というほど大袈裟なものではないが^^;)はここにあるような気がしている。
まず、手間がかかる分だけ、量産が利かない。
とは言いながら、約4年5ヶ月の間に280回だから、6日弱で1回。
十分、量産してますな・・・^^;;
ただただ、そのパワーの凄まじさに敬服するばかりです。

もうひとつの「弱点」は、「生活感覚」で捉えきれないようなテーマは扱いにくい、ということである。
これについては、実際に該当する文章を読んでいただきたい。
たとえば、266回「くだらない事件」などは、なかなか笑えない内容になってしまっている(そりゃ、当たり前だが)。
逆に言えば、通常の回では「こんメディ」の主の「韜晦術」に隠されてしまっているその価値観の深さに直接触れることができる、とも言えるのだが・・・。

この「こんメディ」、最近になって新作が3話ほどアップされている。
某教授の「尻拭い」の話とイラク人質事件、小泉首相再訪朝についての話。
最初のは置いとくとしても、後の二つは「こんメディ」としては、かなりつらいテーマ選択のような気がする。
ただ、どちらも相当の力作だと思う。笑えるかどうかは保証できないが、「面白い」見方であることは間違いない。
この二つだけでも、是非読んで欲しいと思う。

某教授の話はこの中ではやや浮いているが、この話がアップされた4月13日という日付は少し気になる。
もしかしたら、「こんメディ」の主は、その次の話を書きたくて、一時再開したのではないだろうか?
個人的には、完全再開していただいて、末永く書き続けて欲しいのだけれど・・・。
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by hirokira1 | 2004-06-22 22:08 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 20日
★人生の配分について〜Cafesta日誌
以前にも書きましたが、最近随分と生活リズムが変化してしまいました。

一例を挙げると、前に日記で書かせてもらった「報ステ」との関係とか。
実はあれを書いた翌日から、「報ステ」は全く見ていません(^^;
放送時間に家に戻れなかったという日もありますが、それ以上にその時間まで起きていられる体力がない、という深刻な理由があるのです。
その後の日記なども、実は日付が一日ずれていたりします。
日記を書きかけのまま力つきてしまい、翌朝アップするというパターンはこれからもありそうです。

ビンボーなりに忙しくなるのは、それなりに悪くないと思うのですが・・・。
自由になる時間が減ると、それだけ残り時間をどう配分するか、悩みますね。


といったところで、本題。


人間、誰しも「人生」として与えられた時間には限りがあります。

恐らく、同じ年齢の人であれば、生まれてから今までの間に獲得した「外部からの刺激」の総量はほぼ同じはずです。
ただし、その「刺激」を体系的に整理して「情報」として受け止めるか、あるいはそのままにしておくかの差は大きいかも知れません。
また、物心ついた後ならば、自分をどの立場に置くかをある程度は選べるようになりますから、それによってどのような「刺激」を受けるかをある程度は取捨選択できるようになります。
そうやって受け止めた「刺激」に対してどのように感じるか、どのように振る舞うかも重要ですね。
一見自分自身に固有のもののように思われる性格や価値観や生き方も、そんな「外部からの刺激」とそれへの反応の積み重ねで創り出されるものなのでしょう。

ただし、そういった「外部からの刺激」の総量が人生として与えられた時間に比例するという点では、誰しも平等です。

「人生の配分」なんていうと大袈裟ですが、人生の中で与えられた時間をどのように「配分」するか?
つまるところ、人生の「質」を左右するのは、そういうことのような気がします。

ひとくくりに「人生」といっても、その中味は様々です。
一生懸命自分を磨くことに執心する人もいれば、楽しく心地よく生きてゆけばいいやという人もいる。
裕福である程度欲しいものが自由に手に入る人もいれば、爪に灯をともすような生活をする人もいる。
友達や仲間と一緒に過ごす時間を大切にしたいという人もいれば、一人で自分に向き合う時間を大切にする人もいる。

どっちがいいとか悪いとかいうわけではないのです。
また、どっちか「だけ」で生きていくという人も、なかなかいないだろうと思います。

長い時間生きていれば、自分を取り巻く環境はどんどん変化していきます。
結局は与えられた時間をどのように「配分」するか、その都度判断していくしかないのです。
それが人生の中で実りある選択だったかどうかは、人生を終える時までわからないかも知れません。
ただ、その都度真剣に悩んで決めた「配分」なら、そんなに後悔することもないような気がします。

何だか、今日はちょっぴりセンチメンタルな話になってしまいました。
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by hirokira1 | 2004-06-20 16:06 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 18日
看過されるニュース
時間がないので今日は書かない予定でしたが、次のニュースを見てそうもいかなくなりました。

リンク集にも挙げている、浅井久仁臣氏のサイトから、短いので全文引用します。

--------

★仏人日本潜伏事件のその後(6月17日)
 アル・カーイダに関係があるとして逮捕された在日外国人がその後どうなったか皆さんご存知ですか。
 「日本にアル・カーイダが潜伏」とあれだけ騒ぎ立てたマスコミですが、いつもの悪い癖で、その後は「知らん振り」。アル・カーイダのメンバーと決め付けて報道していた3人が、どうやら誤認逮捕の疑いがあるという情報が出てきた途端、取材を事実上ストップさせてしまったのです。
 東京地検公安部は15日、意地になって3人を起訴しましたが、その罪状は、入管法違反でした。地検幹部が「3人とアル・カイダとの関係は不明」とコメントした際にも、記者からきつい質問が出ませんでした。このような警察誘導報道をもういい加減やめましょうよ、マスコミさん。

--------

ちなみに、この件については、少なくとも時事・共同両通信社と毎日新聞は報道しています。
ただし、この3人(毎日は4人と報道)とアル・カイダの関係に疑義を差し挟むこともなく、非常に小さな扱いになっています。
この件について重要な点は、地検幹部が起訴段階で「3人とアル・カイダとの関係は不明」とコメントしたということでしょう。
浅井氏の指摘の通りならば、あれだけの捜索をしながら、3人とアル・カイダの関係を示す証拠を何一つ挙げられなかったということになります。
入管法違反については恐らく有罪になる可能性が高いとしても、アル・カイダがらみの事件としては「誤認逮捕」と言わざるを得ません。

そもそも、彼ら3人の逮捕のきっかけとなった「アルカイダ幹部」リオネル・デュモン容疑者の「肩書き」からして問題があります。
Google検索の一覧を眺めるだけでも随分ゆらぎが見受けられますし。
また、フランスやドイツのニュース記事を翻訳してブログに載せてくれている人もいて、非常に参考になりました。
とりあえず実態としては、「アル・カイダと関係がありそうなイスラム過激組織の幹部」くらいが妥当なようですね。

今回の3人の逮捕について言えば、「誤認逮捕」に当たるかどうかも怪しいです。
いろいろな状況を踏まえた上での「決め打ち」的逮捕を疑ってみた方がいいと思われます。
それにしてもこういう事件こそ、事後の検証報道が不可欠だろうに・・・大手メディアには期待できないのでしょうか?

そういえば、こちらもリンク集に挙げている常岡浩介氏が、日記で次のような記事を紹介しています。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040527/mng_____tokuho__000.shtml
『東京新聞』の田原さんには、もしかしたら期待できるかも知れないですね。
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by hirokira1 | 2004-06-18 07:55 | Cafesta過去ログ
2004年 06月 17日
「メディア社会を生きる道?」〜歌田明弘『仮想報道』より
先日の日記でも書いたように、しばらくオンできず、失礼いたしました。
これからはあれこれと忙しくなりそうなので、オンできない日もあるかと思いますが、引き続きよろしくお願いします。

さて、本日リンク集に2件のサイトをアップしました。
いずれもインターネットの情報力を生かして読み応えのある分析・解説をしてくれる、ありがたいサイトです。

本来なら、今日紹介する歌田氏のコラムサイト「地球村の事件簿」も一緒に紹介したいところなのですが・・・。
残念なことに、昨年の秋頃からこちらのサイトは休止状態になってしまっております。
(Internet Archiveを使って過去のものを読むことは可能ですが・・・)
従って、インターネット上で情報を集めて紹介するスタイルは同じながら、歌田氏のコラムは当分『週刊アスキー』紙上で読むしかなさそうです。

で、今週号のコラム。
「多数派でいることがメディア社会を生きる道?」というタイトルに惹かれて、つい買っちゃいました。
あと1週間前後は書店にならぶ商品なので詳しい紹介は自粛しますが、見出しは次のようになっています。

「出る杭は打たれる。いかに多数派でいるかが
 メディア社会を生きる道?学生が教えてくれる
 メディア社会を生き抜くための戦術」

歌田氏が担当している、大学でのメディア論に関する授業での学生の反応から、最近の「メディア社会」を巡る問題を浮き彫りにしている。
いわゆるネット社会に象徴されるような世の中の雰囲気の変化を、学生が見せる「多数派」指向から読み解こうとする切り口は、面白いと思った。
不思議なほどに「体制的」な昨今の傾向も、要ははぐれ者になりたくないという心理の表れなのかも知れない。
一方で、授業で海外での反応や現地ジャーナリストの話など、彼らがあまり知らない情報をとりあげると、拍子抜けするくらい意見が一変するという。
しばらくは本屋などで読めるので(こらこら^^;)、是非一読して欲しいと思う。

一つだけ、気になったことについて。
冒頭で、荷宮和子さんの本を取り上げて、そこで「ネットに書き込みをしているのは、『在日ではなく、女ではなく、低学歴ではなく、しかし低所得な人間』」と指摘されていることを紹介している。
彼らが“2ちゃんねる”などで「うざい」対象として在日、女、低学歴者などをよく罵倒するが、低所得者はあまり標的になってないからだそうだ。
これは、多少違うと思う。
低学歴者を見下す心理は、むしろ「学歴」に対するコンプレックスを反映したものだろう。
彼ら(の多く、という程度だが)は自分より高学歴な存在に対してはどうやってもかなわないから、逆に自分より「低学歴」な存在にはけ口を求めると考える方が実態に近いと思う。
そもそも、本当に揺るぎない高学歴を持つ者にしてみれば、他人を見下す必要もなければ掲示板に書き込みをする暇もないはずだ。
ネットへの書き込みから推測できる「人格」は、その人がどのような“自画像”を描きたがっているか、どのようなコンプレックスを持っているかを表すものに過ぎないのではないか。

もっとも、その後で荷宮さんに対してやや違和感を表明しているところを見ると、歌田氏にはこんなこと、言わずもがなかも知れない。
見出しの表現と本文での叙述を比べると相当に皮肉が込められているように感じるのだが、不思議なほどにそういう印象を与えないのが、すごいと思う。
荷宮さんの主張にうなずき、学生達の主張にもうなずきながら、言いたいことを嫌み無く書いてしまうあたり、今の私には到底かなわない。

「地球村の事件簿」、早く復活しないかな。アスキーさん、お願いしますよ。
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by hirokira1 | 2004-06-17 07:02 | Cafesta過去ログ