突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 08月 30日 ( 1 )
2004年 08月 30日
「野球の伝道師」が伝えたもの
今更ですが、日本野球の「ドリームチーム」、“長嶋ジャパン”はアテネで銅メダルを手にして日本に戻ってきました。
昨日紹介した近井氏の論評もそうですが、プロ選手だけの選抜チームとして、つまりアマチュア選手を排除して望んだ末のこの結果には、あちこちから厳しい評価が出されているようです。
一方で、まるで強迫観念のように“美談”として扱い続けるマスメディアの報道も後を絶たないようで・・・(こちらは、もうすぐ打ち止めかな?)。

このプロ選抜チームを形容する表現として飛び交った様々なコピーの中でも、特に興味深く、不思議な魅力と危うさを兼ね備えているのが、タイトルにも挙げた「野球の伝道師」という言葉です。
ところが、この言葉の使い方を見ていると、いくつかの意味が時として混同されて用いられることがあるようです。

ひとまず、目についた「意味」を私なりに整理してみましょう。

(1)選手たちが五輪の試合の中で得た経験を自らのチームに持ち帰り、プロ野球界の今後のあり方に反映させていく。

(2)選手たちが五輪の試合の中で得た経験を日本に持ち帰り、将来の野球界を担うであろう子供たちに身をもって伝えていく。

(3)選手たちが五輪の試合の中で「日本の野球」の素晴らしさをプレイを通じて体現し、「野球」の素晴らしさを広く海外に知らしめる。


(1)と(2)については重複する部分が多いのですが、一応区別して考えることにします。

長嶋茂雄氏のコメントを見ると、時としてこれらが混在している場合がありますが、基本的には「若い選手を多く選んだのは、伝道師になってほしいと思ったから」という言葉に見られるように、どちらかというと将来にわたって時間をかけて伝えていく(1)(2)の意味に重点が置かれているようです。

もっとも、将来的な五輪競技としての不安から「野球の素晴らしさを世界の人々にアピールしたい」とも述べているようですから、(3)の意味も言外に込められているとみなしてよいでしょう。

以上のことを踏まえて、今回の「野球の伝道師」が何を伝えたのかを考えてみますと・・・。

(1)(2)については、日本に戻ってきたこれからが本番になります。これらの意味で真に「伝道師」としての評価ができるのは10年後、20年後になるのかも知れません。
一方(3)の方は、現時点で既にある程度の答えが出ています。しかしながら、この意味において「伝道師」としての役割がどこまで果たせたのか、検証しようとするメディアはまだ出てきていないようです。

私が見た限りで一番それに近いと思われる論評を紹介しておきます。

「長嶋ジャパンに課せられたもう一つの使命とは?〜アテネ五輪野球・3位決定戦・カナダ戦」(文=杉山桂介)
(参照→http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/athens/column/200408/at00002206.html

 今回の代表には2つの使命があった。一つはもちろん五輪で金メダルを取り、日の丸を掲げること。残念ながら、これはかなわなかった。そしてもう一つは、長嶋監督、そして中畑ヘッドコーチも言うように、「野球の伝道師になる」ことである。

 今回の五輪、日本の野球は高い評価を受けていた。準決勝で敗れはしたものの、「日本の野球が一番完成されていた」(関係者)という。観客や対戦相手国を魅了したのはもちろん、視察に来ていたメジャーのスカウトの目にも、日本の選手のプレーが映っていた。
 ち密な野球に、豪快なバッティング、気迫あふれるプレーなど、どれを取っても、世界に恥じない「ジャパンの野球」を立派に体現したことは、大きく評価できよう。

・・・(後略)・・・


もちろん現地での取材活動を踏まえた評価なのでしょうが、読む限りではどうしても「我田引水」的自己満足では?という疑念を拭うことが出来ません。
ただ、そうした評価を無条件に受け入れたとしても、この程度のことではとても「伝道師」としての役割を果たしたとは言えないでしょう。
「ジャパンの野球」を評価した「関係者」「対戦相手国」「メジャーのスカウト」・・・これらの人々は、「伝道」するまでもなく「野球」の素晴らしさを既によく知っている人たちです。

唯一期待が持てるのが「観客」ですが、こちらも野球のルールの難解さなどがあって、まだまだ問題山積のようです。
観客席から五輪野球の雰囲気を伝えてくれる記事として、取りあえず次のものを挙げておきます。

「二宮清純の「視点」 : 「フォア・ザ・フラッグ」 〜長嶋ジャパンの“もう1つの使命”〜」
(参照→http://www.ninomiyasports.com/xoops/modules/news/article.php?storyid=2659

五輪が終わったらそれっきり、では「伝道師」の役割を果たしたとは言えません。今後の地道で継続的な交流の積み重ねがなければ、一時のあだ花に終わってしまう可能性が高いでしょう。


もう一つ、「伝道師」という考え方の“落とし穴”についても触れておきます。
「伝道師」、より宗教に即した表現をするならば「宣教師」ということになるのでしょうが、彼らの活動は歴史を振り返ってみると、必ずしも好ましいとは言い難いものでした。
何故かと言えば、彼らは伝えるべき「道」「教」などの価値観を絶対のものとして受け入れており、往々にして現地の都合にお構いなく、一方的にその価値観を押しつけてしまいがちだからです。
ある意味、「自由と正義の伝道師」としてイラクに乗り込んだブッシュ=アメリカが、その弊害を余すところなく表現しきっているとも言えそうですが・・・。

『ウィキペディア(Wikipedia)』の「伝道師」の項目には、奇しくも
2.転じて、他人に何事かを、(聞き手の意思に関わりなく)熱心に勧める(煩わしい)人。

という意味が書かれています。

少なくとも(3)の意味で「伝道師」という言葉を正しく用いるのなら、この場合聞き手に相当する「観客」の視点をもっと大切にすることが必要です。
そういう観点から見ると、今のところほとんどの日本のメディアはその最低限の責務を果たしているとは言えないでしょう。

そう考えると、「野球の伝道師」も「自衛隊の国際貢献」も、問題となっている構造は案外似ているのかも知れません。


もっとも、「伝道師」の意味を(1)(2)に限定して考えるとしても、「金以上の「銅」」だの「有終の「銅」」だのとはやし立てて、“敗北”という現実を直視しようとしなければ、やはりその評価も厳しくならざるを得ません。

「現実を直視する」というのも、案外難しいことのようです。

【8/31 22:35 追記】
アテネ五輪での野球に対する客観的評価は、予想以上に厳しいようです。
次回以降の五輪競技見直しへの動きに関連して、次のようなニュースを見つけました。

「存続厳しい野球、ソフトボール」
(参照→http://athens2004.nikkansports.com/f-ol-tp0-040830-0030.html

 アテネ五輪の競技会場では、国際オリンピック委員会(IOC)プログラム委員会の14人のメンバーが、28競技を分担してそれぞれの実施状況に目を光らせた。IOCは来年7月の総会(シンガポール)で、五輪実施競技を見直す方針を固めている。その際の判断材料となる報告書をまとめるためだ。

・・・(中略)・・・

 欧州でなじみの薄い野球、ソフトボールにとって、アテネでの開催は逆風だった。地元ギリシャの人々の関心は薄く、地中海の強烈な日差しにさらされるスタンドが満員になることはなかった。野球の本家、米国は米大陸予選で敗れて出場できず、プロ野球選手で固めた日本の「ドリームチーム」は準決勝で敗れた。

 野球を視察したプログラム委員は「試合時間が長いのが何よりの問題。大会後、このスタジアムを使って地元で野球を普及させようという姿勢も感じられなかった」と厳しい評価だった。

・・・(後略)・・・

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by hirokira1 | 2004-08-30 00:25 | Cafesta過去ログ