突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 05月 24日
適度の緊張関係が必要
今回の小泉首相訪朝に対して、報道各社が行った世論調査では、軒並み6割以上の人々が「評価する」と回答したという。

少なくとも家族5人を連れて帰ってきた以上、評価しないとは答えにくいから、そもそも設問の立て方が間違っているという意見もある。が、内閣支持率も上昇しているという結果も出ているから、やはり「それなりによくやった」という評価を前提に、しばらくは事態が推移していくのだろう。

帰国の時は苦虫を噛み潰すような表情だった小泉さんも、これで安心して成果があったと強弁できるだろう。


今も高い支持率を誇る小泉政権が、何故「改革」を叫ぶだけでろくに成果を挙げていないのか、その一因が見えた気がする。

職場であれ教育の場であれ、その場の雰囲気を決めるのは「やったことが正当に評価されるか」である。よい成績を挙げれば誉められるし、駄目なら注意を受ける。そういう場にいる人は、安心して前向きに努力できる。

評価される側はどのように評価されるのかを気にする。よい成績を挙げたのに評価されなければやる気をなくすし、悪い成績をのこしたのに特に注意されることもなければ、やはり気が緩んでしまうだろう。

だから評価する側は常に適切な評価を下さなければならない。評価を誤ればいずれにしても場の士気は低下する。そして、適切に評価できない上司や教師は侮られる。

つまり、その集団、その社会がうまく回転していけるかどうかは、「適切な評価」を巡って評価する側とされる側とが適度の−そして決して過度ではない−緊張関係を保てるかどうかにかかっていると言える。

今の日本社会、日本の政治に適度の緊張関係は存在するだろうか?今日も気が重い。
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by hirokira1 | 2004-05-24 21:56 | Cafesta過去ログ
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