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突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2005年 11月 06日
スロー・ネットライフのすすめ
ちょくちょく拝見している『大学教員の日常・非日常』というブログで、「スロートラックバック」というエントリを発見。

学術論文の評価に用いられる「インパクト・ファクター」の話と、ブログにおける話題の扱われ方とが似てるんじゃないかというところから、一過性のブームにテーマの評価、もっと言えばテーマの選び方が左右されてしまうのはまずいんじゃないかと。
で、それによって議論の幅が狭くなってしまう危険性に対して、「スロートラックバック」を提唱することで、もっと長いスパンで書いてみようよ、考えてみようよという趣旨のようである。



流行に左右された研究テーマばかりおこなっていると、国全体としての研究力がおちるというのが師匠の言い分(もしくは、趣味の研究をするための言い訳) だったのですが、ブログも旬のテーマに流されている人が多くなれば、それだけ考える力がおちてしまうような気がしてしまいます。ああ、あまり根拠はないですが、でも、そんな気はしませんか?

この部分については、やや自信なさげに仰っているのだけれど、恐らくその通りで間違いないだろうと思う。
旬のテーマを敏感に読み取り、即座に反応するというスタイルでは、それを評価する時間幅も否応なく狭まってしまう。
評価の時間幅が特定の状況下、特定の雰囲気の中に限定されてしまえば、その中から出てくるテーマ設定や議論の方向も、やはりその時々の状況・雰囲気に強く影響を受けた特定の範囲に偏ってしまうのではないか。
自分が重要だと考えるテーマを探し出す、または探し出したテーマの重要性を明示することそれ自体が「考える力」の根幹をなしていると考えれば、もっと自信をお持ちになってもよいと思うのだけれど。

もちろん、例えば研究者の研究内容を評価するのに10年20年も待つわけにはいかないから、せいぜい数年単位の論文引用数を評価の基準に採用するのも仕方が無いのかも知れない。
ただ、評価というものは何を対象にするかによって、適切な時間幅が異なるわけで、大学の教育者/研究者ならば学期単位の授業評価や数年単位の論文引用数とともに10年単位の研究業績評価もうまく組み合わせて、目先の評価にこだわらない大学人としての立場を保障しないとまずいのではないかとは思う。
まあ、どう組み合わせればうまくいくのかがそれこそ問題なのだが。

ブログの場合も、仕事でやっている人とかアフィリエイトなどにこだわる人とかの場合は、そんな悠長なことは言っていられないのかも知れない。
けれども、単に自分が興味を持っていること、書いてみたいことを書くだけなら、むしろ後からでもアクセスできる・追記できるというネットの特性をもっと有効に活用してもいいんじゃないだろうか?

というわけで、私も「スロートラックバック」に一票入れさせていただく。

でも、この趣旨からするともう少しトラックバックを打つのが遅い方が良かったかも・・・(苦笑)。


【追記】
そういうわけで、現に滞っているエントリの執筆について、『犬桑』さんから催促のエントリが来ました。
すみません。ほんとうにすみません。
でも、まとまったエントリを書く時間が本当にとれないのですよ。
なので、申し訳ありませんが、「下」についてはもうしばらくお待ちください。

ついでに申し上げておきますが、トートロジーの話については、もちろん指摘することが「できない」わけではありません。
むしろ、非常に簡単にできるというのが正直なところです。
ただ、あまりに簡単にできるだけに、御自身でお気づきになる前にこちらから指摘するのが憚られたというだけなのです。
曲がりなりにも内田先生の言説をトートロジーとして切って捨てるほどの方ですから、この程度の間違いを自ら修正できないはずはないと信じるが故に、あのような書き方をしたまでです。

この件については、「下」とは別に必ずエントリを立てて解説するつもりでおります。
もっとも、それまでにしばらくお待ちいただくことになりそうですから(早くて来週末、でも苦しいかも)、その前に御自身でもう一度、「自説の妥当性」そのものを再検討してみていただけませんか?
by hirokira1 | 2005-11-06 23:00 | 社会的考察
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