くねくね科学探検日記~鹿野司氏との邂逅 |
せっかくの3連休なのだから、少しはブログ更新にエネルギーを費やそうかと考えていたが、そうは問屋が卸さないらしい。
あれやこれやと仕事が降り注ぎ、気がつけば交通整理すらままならない状況。 とりあえず、急遽決まった出張の準備をしなければ。 そういうわけで、まとまった文章は恐らく早くても週末以降にならないと書けそうにない。 書くことは大体決まっているだけにもどかしいのだが。 なので、以下は最近気がついたブログの覚え書き。 『くねくね科学探検日記』~鹿野司氏・wisdom Blog 昔、『Login』で氏が書いていた「オールザット・ウルトラ科学」というコラムの愛読者だった私としては、期待ワクワク、胸ドキドキ。 かつては本屋の軒先で読んでいたライターさんの文章が、今はこうして自宅から好きなだけ読めるとは、いい時代になったものである。 ひとまず、最新エントリの「人はなぜ笑うのか(その2)」を読んでみる。 「お笑い現象がなぜ生じるか」という問題に取り組んだ二人の学者、フロイトとマーヴィン・ミンスキーのお笑いのメカニズム論を紹介したものである。 マーヴィン・ミンスキーという名前はこれを読んで初めて知ったのだけれど、人工知能研究の第一人者で、その“お笑いのメカニズム”を人工知能に組み込むことを考えているらしい。 ミンスキーの“お笑いのメカニズム”とは、端的に言うと「思いがけないフレームの置き換え」ということのようだ。 「フレーム」とは、私たちが世界の様々な事象を認識する際に用いる「予断の枠組み」のことである。 例えば、大柄で禿頭、ひげをはやしたおっさんを見ると、きっと低い声で無愛想な受け答えをするだろうと、大抵の人は思う。 そういう風に見かけだけでその人の行動様式を推定するのも、「フレーム」の一種である。 ところが、そのおっさんが女性以上に甲高い声で「クロちゃんです!」なんていうもんだから、見ている方はついつい笑ってしまう。 「思いがけないフレームの置き換え」とは、多分そういうことなのだろうと思う。 にしても、そんなメカニズムを人工知能が実装する時代が来たら…。 M-1グランプリのようなところで、人工知能の漫才コンビが人間の漫才コンビと勝負して、勝っちゃったりするんだろうか? で、観客の方も人工知能の方が「笑いのセンスがいい」なんてことになるんだろうか? まあ、後者の方は考えすぎかも知れないが、将棋の世界などでは近い将来には現実になるだろう事態だけに、十分あり得そうな気がする。 思えば、鹿野氏が「オールザット・ウルトラ科学」を書いていた頃の『Login』は単なるゲーム雑誌ではなくて、コンピュータを中心にした総合科学誌っぽい雰囲気を漂わせていたような記憶がある(あくまで「雰囲気」だけど)。 そのころのパソコンなんて大した性能があるわけでもなく(8ビット主流の時代だし)、むしろ「いつかこんなことができたらいいなぁ」という期待感を精一杯膨らませて楽しんでいたような気がする。 当時家内制手工業のような体制でゲームを作っていたソフトハウスの大半は姿を消し、彼らが作っていたゲームと同等以上のクオリティのゲームがフリーソフトとしてネット上で簡単に入手できるようになった。 けれども、「きっとこんな楽しい未来がやってくるんじゃないか」というワクワク感に限れば、当時の方がずっと大きかったように思えてならない。 その意味では、「オールザット・ウルトラ科学」は私にとっての、楽しい未来へのワクワク感の象徴だったのかも知れない。 あれから15年。 もう一度、あの頃のワクワク感を取り戻してみたくなった。 |
by hirokira1
| 2005-10-10 23:47
| ブックマーク的考察
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