突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2005年 09月 21日
視点を“ずらす”ことの重要性
更新がすっかり滞ってしまった。
実は今、某国に海外出張中で、その準備等を含めてしばらく書く時間がとれなかったのだった。
頂いたトラックバックにレスしたり、予告した内容をまとめたり、抱えているネタもいくつかあるのだが、なかなか手が着けられない状態である。
あちこちのブログを読んでいると、海外出張中でも毎日何度も更新している強者がいたりするが、どうすればあんな芸当ができるのだろうか?
不思議だ。
しばらくはぼちぼち更新ということで行こうと思う。



ところでしばらく前の話になるが、『内田樹の研究室』「哀愁のポスト・フェミニズム」というエントリを読んで思ったことについて。
このエントリについては、もちろんいろんな読み方が可能だと思うのだが、オーソドックスな読み方としては、『そんなnewsは犬も喰わない』(正式略称「犬桑」とのこと)の「内田樹センセはもう終わった」の中の「骨組みをフェミニズム→ナントカ主義に直して書き出し」たまとめで十分だろう。
つまりは、「ナントカ主義」の権威性を笠に着るだけの言動と、その本質とを混同するな、というところだろうか(←まとめすぎ)。

ただ、『犬桑』のこのエントリでは、これだけ綿密な分析がなされているにもかかわらず、「語っている内容が不思議すぎる。と、いうか何も語っていないように見える。」と首をかしげておられるようで。
私にしてみると、このことの方が「不思議」である。
で、私なりの読み方をどう書けばいいかなと考えていたら、既に『Over 40』「内田樹の読み方」でわかりやすく説明されていた。
非常に簡潔で要を得ているので特に付け加えることもないのだが、敢えて余計な一言を付け加えるならば、「何も語っていないように見える」論理展開こそが「内容」そのものであって、具体的な事実検証などは枝葉末節に過ぎない、というところだろうか。
内田先生を面白がっている人たちは、その論理展開という骨組みに、それぞれの「自分の興味領域」(@Over 40)を肉付けして読んでいる。
逆に言えば、この「骨組み」と「肉付け」の間の“ずれ”こそが内田先生の面白さであり、本質なのだろうと思う。

この「哀愁のポスト・フェミニズム」というエントリ、アップされてから約5日で5つのトラックバックと3つのコメントがついている。
内田先生の通常のエントリとしては平均的な反応と言えるだろう。
けれども、このエントリが選挙分析という極めてポリティカルな話題で盛り上がった直後にアップされたということを考え合わせると、どうしてもある種の既視感を覚えてしまうのだ。

出先なのできちんと確認する余裕もないが、内田先生はポリティカルなエントリで異様に議論が白熱すると、その直後に「骨組みはほぼ同じだが肉付けが異なる」話題を振るという傾向があるように感じられる。
で、「骨組みはほぼ同じ」なのにポリティカルでないその話題はさして注目されない。
この「哀愁のポスト・フェミニズム」というエントリはまさにその典型だと思うのだが、どうだろうか?

ポリティカルな話題というのは、「その話題がポリティカルである」という限りにおいて白熱する。
だとすれば、「政治」よりも「政局」の方により注目が集まるという現象もわからないではない。
しかし、この構図が変わらない限り、狭い意味での政治の舞台を離れて私たちの生活空間に議論が降りてくるという可能性は低い。
このままでは、私たち一人一人の日常生活をよりよくするという、本質的な意味での「ポリティカルな」効用はあまり期待できないのではないだろうか。
「政治」をいつまでも小泉“劇場”の内側に押し込めておくのは良くないと思うのだけれど、ポリティカルな話題が好きな人たちはあまり同意してくれないかも知れない。

だから、私には「哀愁のポスト・フェミニズム」のようなエントリの中に、内田先生のポリティカルなメッセージをより強く感じてしまうのだ。
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by hirokira1 | 2005-09-21 09:15 | 社会的考察
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