突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2005年 09月 10日
“気分”と“機能”とのあいだ
明日が衆議院議員選挙だというのに、いまいち盛り上がりに欠けているような気がする。
いろいろ原因はあるのだろうが、恐らく間違いなさそうなのは、「どこに投票してもそれほど明るい未来像は描けない」という醒めた雰囲気がどんよりと世の中を覆っている、ということであろう。
ならば、もはや張りぼてのセット並みに安っぽく頼りない小泉的郵政民営化の構図でもわかりやすいだけマシかも、という諦めに近い感覚を抱くのもある程度仕方がないのかも、と思ってみたりもする。

ただ同時に思うのは、そもそも政治というのは、参加している誰にとってもそういう頼りないものなんじゃないだろうか、ということである。
その頼りなさの中で、どんなに小さな可能性でもおろそかにせずに生かそうとする努力を積み重ねることでしか、重苦しい現状は打開できない。



平川克美氏の『カフェ・ヒラカワ店主軽薄』で、「 「気分」という怠慢。」という文章を読んで、そういうことを考えてみた。

気分というものは、
いつもエクスクルーシブ(排他的)である。
それゆえ、単純で分り易く、そして理性にまさる強度がある。
昂揚と沈鬱は同居できない。

「郵政民営化ができなければ、行政改革なんてできっこない。」
「行政改革しなければ、日本の活路はない。」
「俺がぶっつぶす。」
おっと、こういうことは下野した後に言ってもらいたい。
そうじゃないか。
こういった、政権内部からの言い草が実は、
それ以外のあらゆる可能性についての理性的な分析や
選択肢の模索という「理性的な判断」の排除であるということを、
冷静に吟味すべきである。

いつだって、そうではないやり方というものがあるのである。
それを、排除してしまうのが、「気分」というものが
本源的に持っている怠慢というものなのだろう。

最初と最後だけ引用するというのはお行儀が悪いかも知れないが、極めて明快で力強い言葉だと思う。

実際、「気分」というものは一見曖昧模糊として掴み所が無く、それでいて集団全体の意思をわずかな時間でひっくり返してしまうくらいの獰猛さを併せ持っている。
小泉氏がその首相としての実績と比べれば分不相応に高い評価を得てきたのも、そういう「気分」の力を時には利用し、時には便乗する能力に恵まれていたということなのだろう。

しかし、そんな「気分」に無抵抗に便乗するのは、平川氏が言う通り怠慢そのものだろう。
怠慢であることの責めは、もちろん小泉氏だけが負うべきものではない。
重くのしかかってくる「気分」に対して、「理性的な判断」をもって抗いつづけることは、この国の行く末に関わる全ての人たちにとっての責務なのかも知れない。


一方、at most countable「想像力をもって一票を投じよう!」の中で、めたか氏は次のように書いている。

確かにね、
自分の一票くらい、あろうがなかろうが
多分、当落に影響はないですよね。
一票差、なんて事は滅多にありませんから。
あっても、それで1議席しか変わらないし。

でも
そう思う人がいっぱい居ると
その影響は大きくなっちゃうんですよね。
逆に
そういう人たちがたくさん
投票するようになると、それも影響が大きくなる。

だから
「自分の一票なんて、小さい」
と思う人は
こんなふうに思って欲しいんですね。

自分のもってる票を、一票ではなく
100票、いや、1000票、それ以上に
大きく思って欲しいんです。
自分の一票というのは、それだけ影響がある
って、想像するんです。

そうすると
自分の票ってのが、当落に大きな影響がある
って考える事ができますね。
そうなると
その「大きな影響のある」票を
どんなふうに使おうかって思えば良いんです。

醒めた目で眺めると、自分が行使できる一票の価値は、その結果としての候補者の当落や政権選択、政策の選択などに比べて、極めて小さい。
政治を左右するための「機能」として自分の一票を評価すれば、どう考えてみたって、そういう結論の方が正しいに決まっている。
しかしその極めて“正しい”小さな判断が数多く積み重なることで、その(恐らくは良くない方向の)影響は逆に政治を大きく左右してしまうことになるのも事実。
その落差を埋めるための手段が、平川氏の場合は「理性」であり、めたか氏の場合は「想像する」力になるのだろうと思う。


「気分」と「機能」。
一見すると、あまりに分のない勝負に思えてしまう。
だがそう思いこんでしまうのは、この手の問題を考える時に「気分」だけ、もしくは「機能」だけに基づいた判断に囚われているからではないだろうか?

民主主義社会において(いや実際にはそれ以外の社会でもそうだとは思うのだが)、政治というシステムは決して曖昧模糊とした「気分」や個々では無に等しい「機能」によってその正当性を保障されてきたわけではない。
むしろそれらを込みにした総体としての、為政者と大衆との間の「緊張関係」を維持しようとする意思こそ、政治というシステムの拠って立つところなのではないかと思う。

今回の小泉自民党の戦略で言えば、「改革を止めるな!」という「気分」面でのスロ-ガンと「郵政民営化の是非を問う」という「機能」面での意味づけによって、有利に選挙戦を展開しているように見受けられる。
が、こと為政者と民衆の間の「緊張関係」については、全くと言っていいほど等閑視されているようにしか思われない。
細かな事例を挙げるとキリがないが、その緻密なメディア戦略と対照的な小泉氏の「説明責任」無視姿勢は、その最たるものと言えよう。

この「緊張関係」というものは、もちろん選挙によって表明された有権者の票数によって左右されるが、決してそれだけのものではない。
それはむしろ、より主観的であり、より持続的であり、より心理的なものである。

民衆に対していい加減な行動をすれば、必ずしっぺ返しを食う。。
不誠実な言動は常に監視され、誠実な言動も常に厳しく評価される。
民衆の信頼を裏切る行為は、時が経っても決して忘れられることがない。

そういう「緊張関係」を為政者の側が常に意識する限りにおいて、政治というシステムは健全に働き続けることができるだろう。
逆に言えば、そういう「緊張関係」を為政者に意識させ続けることこそが、民衆にとって第一に必要とされる役割ということになる。

公約だのマニフェストだの政策に対する理解度だの実行力だの、いろいろと議論されているようだが、つまるところそれらは上で述べたような「緊張関係」を確立するための小道具に過ぎないという気がする。
結局のところ、「何時だってちゃんと見てるぞ」「(少なくとも次の選挙までは)忘れないぞ」「雰囲気に流されないぞ」といった持続的な眼差しを如何にして確認しつづけるのかという方法論の問題ということなのだと思う。
もちろん、それはそれで重要な問題なのだけれど。

そして、そういう「緊張関係」への参加登録というのが、投票という行為の本当の意味なのではないかと思ったりする。
投票の価値を単に翌日までに判明する候補者の当落によってのみ判断すれば、その価値はさして大きくはないかも知れない。
けれども、その一票がその後の「緊張関係」込みで為政者にのしかかるとすれば、その影響はなかなか馬鹿にならないのではないだろうか?
そんな風にこれから育てていくべき「緊張関係」を込みにして、自分の一票の価値を再評価してみませんか?というのが、めたか氏の言う「想像」、さらには平川氏の言う「理性」にも繋がっていくような、そんな気がするのである。
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by hirokira1 | 2005-09-10 16:30 | 社会的考察
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