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突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2005年 06月 01日
「コピペ」文化?~盗用・剽窃がもたらすもの
前回に引き続き、文化におけるコピーライトと"オリジナル"の関係について考えてみたいと思います。
前回の文章では、昨今過剰に評価されている(ように思われる)"100%オリジナル"という価値観をとりあげて、このような価値観が創作の実態とも合わないこと、また私たちの文化にとって必ずしも有益ではなさそうだということを確認しました。

その話の続きとして、"100%『非』オリジナル"、つまり他人の褌をひたすら使い回すタイプの価値観についても触れておく必要があるのですが・・・。

まあ、一言で言ってしまえば「盗用」ということなんですけれどね。



この手の話は意外にありふれているようで、最近もTBSのウェブサイトで連載されていた「編集長コラム」での盗用問題で騒ぎになったことは、記憶に新しいところです。

あちこちで話題にされているネタですが、ひとまず目にとまった文章を2,3挙げておきます。

「盗用・パクリについて言いたいことを言わせてもらう――TBS記事盗用・パクリサイト・劣化コピー・パクリソフト」~絵文録ことのは・松永英明氏
(参照→http://kotonoha.main.jp/2005/05/12stolen.html

「フリーランスは「人間じゃない」のか? 文化レベルを露呈したTBS盗用問題の実態」~ すちゃらかな日常・松岡美樹氏
(参照→http://blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki/e/628b7081598ab856533d3def219e2d03

「△書くべきことはあるはずだが?読売社説」~あざらしサラダ
(参照→http://blog.livedoor.jp/azarashi_salad/archives/21925016.html

厳密には「盗用」そのものを中心に議論されているのは最初の松永氏のものだけなのですが、この松永氏の文章だけでも、実は私がこのテーマで書こうと思っていたことの大部分はフォローされてしまっています(^^;

何が起きたかということについて事細かに記録されている上に、ネット上で問題になった過去の「盗用」事例も紹介されていますので、「もう大体のことは知ってるよ」という方も含めて一度は読んでみることをおすすめします。

残り二つの文章はTBS盗用騒動に派生する問題点が論点の中心なのですが、世間の「盗用」に対する感覚を知るには役に立つだろう、ということで一緒に挙げておきます。
松岡氏の方はフリーランスへの責任転嫁という、TBSのあまりに理不尽な対応を、またあざらしサラダさんは読売記者の先の列車事故における暴言問題とのバランスの問題を指摘しています。
共に透けて見えるのは、表向きは言い訳無用の「悪」として糾弾されるべき行為でありながら、一方で自らの問題としては「よくあること、ありがちな話」としてなあなあで済ませてしまえる、いわば当事者としての意識の低さです。

これは同時にマスメディアそのものの病巣でもあるのでしょうが、今はあえて深入りしません。


同種の騒動としては、安倍なつみの「盗作」騒動なんていうのもありましたね。
概要をまとめたサイトを一つだけ挙げておきます(って、単にGoogleで一番最初に出てきただけですけど)。
「安倍なつみ盗作疑惑」
(参照→http://www.geocities.jp/paropro2004/

こちらもなんだかいろいろな裏話があるようですが、芸能ネタは私が特に苦手とする分野ですので、こちらも深入りしないことにします。

ただ、こちらで「盗作」の内容を再確認して改めて思ったのは、
「この人は他人の作品を盗んだというより、そもそも"創作"するということがどのようなことか、まるでわかっていないだけなのではないか?」
ということでした。
作品を「盗んでいる」というには、あまりにもあっけらかんと、そのままのフレーズを繰り返しているさまからは、微塵の"やましさ"も感じられないのです。


実際、人の文章や作品をあたかも自分の創作物であるかのように「盗用」している事例は、ネット上でもしばしば見受けられるものです。
なっちのケースは違うようですが、コンピュータ及びインターネットの発展が他人の文章や作品を極めて簡単に「コピペ」(コピー&ペースト、切り貼り)することを可能にしたことによって、「盗用」のハードルは随分と低くなってしまったような気がします。

先程挙げた松永氏のエントリ中にも少なくない実例が紹介されていますし、「盗用」と適切な「引用」の間の線引きについても別エントリも含めて松永氏による丁寧な考察がなされていますのでまずはそちらを見ていただくとして、以下私が実際に知っている身近な事例を紹介することにします。


"その人"のページはほぼ毎日更新されていて、固定ファンも多く、思わず「へぇ~」と感心するような雑学や知識の紹介がメイン・コンテンツになっていました。
ところがその中で紹介されている話のかなりの部分は、ネット上の別のサイトでほぼ同じ(そしてずっと詳細な)文章を読むことができるものでした。

"その人"とはネット上での知り合いだったこともあり、一度やんわりと注意したことがあるのですが、聞く耳を持ってはもらえなかったようです。
その後の更新記事でも「疑わしい」事例は頻繁に見られますが、そこで「盗用」されていると思われる箇所はかなりの表現が「改変」されていて、"その人"があくまでも自分の発言としてこれらの知識を見せたいという意図が逆に透けて見えてしまいます。

"その人"の事例を見て実際に私が感じたことは、ひとまず次の二点に集約されます。
(1)その記事が、信頼性において元サイトに劣る「劣化コピー」になってしまっている。
(2)他人の文章をあたかも自分の言葉のように発信することによって、元サイトの発信者が持つ「人格権」を侵害しているのではないか?


(1)については、"その人"が元サイトの内容を「改変」してからアップするようになったと見受けられる時期以降、特に顕著です。
もともと「改変」されたとおぼしき箇所は不自然な表現になっていることが多いのですが、元サイトに当たると相当にニュアンスが異なる表現であることが少なくなく、ひどいケースでは明らかな事実誤認が含まれていたりします。
いっそのこと、元サイトの記事全文をそのままコピペしただけの方がよっぽどましなのではないかと思うほどです(←思いっきり問題発言)。

(2)については、本来は「人格権」を侵害された元発信者の問題という気もしないではありません。
ただ、私がここで問題にしていることは、著作権法で言うところの「著作者人格権」よりもう少し広い範囲のことです。

ネット上において、例えば「ひろ☆」として認識される人格は、あくまでこのページにアップされた、それぞれの文章やアバターなどのデジタル情報のみによって形作られています。
これらのデジタル情報をすべて「コピペ」して、ここと全く同じページを別につくることは、それほど難しいことではありません。
現実の世界において私と同じ人格を別につくることは至難の業ですが、ネットの世界において私と同じ人格を別につくることは、さしたる知識がなくともやってやれないことではないのです。

その意味では、他人の文章を「盗用」することのネット上における深刻さは、現実の世界の比ではないような気がします。
実際にやっている人にしてみれば、居酒屋で受け売りの知識を知ったかぶりしてひけらかしているのと大差ないだろう、くらいの感覚なのかも知れませんが、ネットの世界においてはそれよりもはるかに大きな悪影響を及ぼしている、と考えるべきでしょう。


私自身としては、"その人"を改めて告発しようというつもりは毛頭ありません。
上で紹介した事例がほんの氷山の一角に過ぎないであろうこと、他にも似たようなことが恐らくはあちこちで行われているであろうことを考えると、際限のないモグラたたきに手を出すのが馬鹿馬鹿しくすらなってきます。
むしろ、こうしたサイトを読む人の側が少しだけ意識を高く持つことによって、こういった状況を徐々に改善していくことはできないか・・・私はこちらの可能性に期待をかけています。

何よりもまずお勧めしたいのは、
「ブラウザに検索バーをインストールすること」です。
「あれ?」と思った情報を簡単に確認するのに、検索バーを使うのと、一々Yahoo!やGoogleの検索画面を開いてから検索するのとでは、ネット検索にかかる手間は随分と違うものです。
全ての情報についてネット検索で一々確認するのは大変ですが、少なくともネットで得た情報を自分のページで紹介したり他の人に話したり、あるいはどこかに書き込んだりする前に検索バーでちょいと確認する癖をつけることは、そんなに大変ではないでしょう。
そうすれば、うっかりデマを広めるのに荷担してしまうリスクを回避するのに効果的ですし。
そして、そういう癖を持つ人が増えれば増えるほど、安易に他人のコンテンツを「盗用」してかりそめの尊敬を得ようとする行為をより"割に合わない"ものにしていくことでしょう。

何と言っても、平気で「盗用」に手を染める人たちだって、その行為が知られることを何よりも恐れているのですから。

ネット上に「見る目のある読者」がもっと増えれば、何でも知っているふりをしている人よりも、適切な引用によって手堅い情報を提供する人の方がずっと多くの尊敬を得られるはず。
不毛なモグラたたきよりも、そちらの方がより建設的な態度のように私には感じられます。

【注意】以上の文章に目を通された方には十分ご理解頂けるかと思いますが、当ページにおいて"特定の個人名"もしくはそれを類推させる情報を挙げて「盗用」を告発する行為は謹んでお断り申し上げます。そのような書き込みがありました場合、即刻削除致しますので、その旨御了解頂きますよう、お願い致します。
by hirokira1 | 2005-06-01 00:04 | Cafesta過去ログ
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