突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2005年 02月 22日
巨人・ガンダム・自民党
※タイトルは単なる語呂合わせです。順番には特に意味はありません。

こんな記事を見かけました。
「映画「石井のおとうさんありがとう」を見て」~by 伴武澄・萬晩報より
(参照→http://www.yorozubp.com/0502/050216.htm

そういや去年、マツケンが現代劇を撮っているとかいうのをテレビで見かけた記憶がありますが、これだったのですね。
しかし、「ほとんどが自主上映」とは・・・ストーリーが地味とはいえ、メインキャストは一線級を揃えてるのにねぇ。




あのうんざりするほど大騒ぎしたマツケンサンバの、それこそ20分の1でも30分の1でもいいから宣伝してあげてれば、「自主上映」だけは避けられたのではないか・・・と私は思うのですけど、どうなんでしょう?

供給元のサイトは↓なので、よかったら内容だけでもご覧ください。
「映画「石井のおとうさんありがとう」公式サイト」
(参照→http://www.gendaipro.com/juji/index.html

--------
さて本題。

前回までの続き・・・という訳ないですね。
何せこのタイトルですから(苦笑)。

実はこのネタ、半年近く寝かせておいたものなのです。

昨年の10月、新しいTV版ガンダム『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』が始まりました。
知っている人も多いとは思いますが、昨年はガンダム生誕25周年。

「25年も経ってまだ新作を創る」

評価は人それぞれでしょうが、何にしてもすごいアニメだなぁということにはなるのでしょう。

かくいう私めも、ガンダムで育った中の一人。
生放送を見るには幼すぎたとはいえ、訳も分からずガンプラ作りに没頭したクチです。
結局手に入らなかったですねぇ、「3倍のスピード」の「赤いやつ」。

最近、全長約1.5メートルのシャア専用ザクが売り出されたと聞いた時は、仰天しましたけれどね。
定価が20万円もするのに、1500個も売れたらしいし。
ネットサーフィンしてたら、せっかく買ったのに部屋が四畳半で組み立てるスペースがない、なんてレポートを見つけたりして。
・・・買う前に気づきなさいって(笑)。

かつて300円を握りしめてオモチャ屋に走っていた少年をこんな大人にしてしまうとは、25年という時間の偉大さをつくづく思い知らされます(違うって)。

しかし、売る方としては楽な商売ではあります。
300円のプラモなら100万個売ってようやくという売り上げを、たかだか1500個売るだけで手に入れられるわけですからね。
バンダイには「ガンダム事業部」なる部局があるという話、詳しくは知りませんが、ガンダム関連のグッズやゲームで相当商売していることは間違いないようです。

ただ、全体として見た時に、こういう商売の大半はいわゆる「一年戦争」と呼ばれる初代ガンダム(一般に「ファースト」と呼ばれます)の世界がターゲットなのですよね。
そういう意味では、ガンダムのビジネスモデルは基本的に「ファースト」の残像に依存しているということもできます。
実際、「ファースト」以後につくられたガンダムの多くは、大枠で「ファースト」の世界観を引きずっています。
そして、たまに「ファースト」のイメージを覆すような「ガンダム」が出てくると、「ガンダムファン」を自称する人たちによって散々に扱き下ろされ、挙げ句の果てには「あんなの、『ガンダム』じゃない」と、存在自体を否定されて・・・。

こういった、いわば「ファーストガンダム原理主義」の"拒絶反応"に対する分析・批評としては、以前はベン・レイコック氏の「Ten Made To Be !!」「ブラックガンダマーズ」がまとまっていてクオリティも高かったのですが・・・
(参照→http://f59.aaa.livedoor.jp/~tobe/

残念ながら、このコーナーは昨年限りで閉鎖となってしまいました。
ガンダム云々以前に社会批評として十分なクオリティを持っていただけに、ただただ残念な限りです。

なのでここでは、KSKS氏の「えすぺらんざ」から、「天はザクの上にガンダムを作らず~ポケットの中の戦争~」という文章を紹介しておくことにします。
(参照→http://www5a.biglobe.ne.jp/~ksks/gundam/guncol.htm

ちなみにこのサイト、健全な青少年に不適切なコンテンツを一部含んでいるようです。
よい子のみんなは、危ないからガンダムコーナーの外に出ないように(^^;)。

でこの文章ですが、元々OVAとして制作され、一般向けにはあまり知られていない『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』というアニメの構造とそれに対するファンの反応から、ガンダムシリーズ自体のターニングポイントとしてのこの作品の立ち位置を鮮やかに描き出した、極めて硬派の論評です。
難を挙げれば、ガンダムを知らない人向けの文章とは言い難いこと、あと長いことくらいでしょうか。

かいつまんで内容を要約すると・・・。

一般に、ガンダム世界の戦闘では、
「パイロットの強さ」+「乗機の強さ」→「戦闘の勝敗」
という公式が成り立ちます。
言い換えると、ガンダムとはほとんどの場合「すごいヤツが、すごいロボに乗って、すごいことをする話」なのです。
ところが、この『ポケットの中の戦争』に出てくる戦闘は、この公式が全く通用しません。

何故か?(ここでは「坊やだからさ」というのは無しで・笑)

それは、この作品が「シリアスな戦争を等身大の視点から描いた作品」であり、「個人の意志や運命を容赦なく蹂躙し、多くを奪い去っていく圧倒的な現実」や「戦争に蹂躙される者の立場」に焦点を当てているからです。
それは、本来「ファースト」自体が持っていたエッセンスであり、この作品はそれを前面に押し出すことで「ファースト」後の他作品と一線を画するものとなりました。

ところが、この作品に対するファンの反応は、「MS戦が少ない(=ロボットが活躍しない)」という(作り手の側からすると)予想外のものでした。
奇しくもこの作品の次作に当たる『0083』がMS戦への回帰によってヒットしたことによって、「"戦争"に憧れていた少年が残酷な現実に直面する」というこの作品のモチーフがそのまま作り手に(全く異なる文脈で)突きつけられるという皮肉な結果をもたらしたのでした。


・・・以上のような内容を極めて緻密な論証を踏まえて述べた後、KSKS氏は次のような言葉でこの"大論文"を締めくくっています。

 ......というわけで、『ポケットの中の戦争』のテーマとなっていた「等身大の視点から見たシリアスな戦争」という要素は、「すごいヤツがすごいロボに乗って大活躍」というロボットアニメ路線とは相容れないがために、結局以降の作品にはほとんど受け継がれることなく消えていきました。「ガンダム」がロボットアニメとして、エンターテイメントとして求められている以上、それはある意味当然のことかも知れません。

 つまり『ポケットの中の戦争』は、『機動戦士ガンダム』にあった「シリアスな戦争」というものを突き詰めた結果、「ガンダム作品」として成立しうるエリアの外側に足を踏み込んでしまったわけです。逆の言い方をすれば、「リアル」や「戦争」を看板にして発展してきた「ガンダム」は、この作品の登場によって一つの限界を示したのだともいえるでしょう。

 そして、だからこそ......この作品には一見の価値があると思います。自分が「ガンダム」に求めている「戦争」や「リアリティ」はどの様なものなのか、この『ポケットの中の戦争』を見ることで再確認できるのではないでしょうか。

 ですから、未見の人はこの機会に、昔一度見てそのままになっている人はあらためて、『ポケットの中の戦争』という作品をご覧になってみてはいかがでしょう?

私個人の感想を言えば、この作品は、「ガンダムなんてまるで興味のない女の子にも安心して薦められる、唯一のガンダム」です。
最近DVD版が出たおかげで、2本借りれば通しで見ることができるようになりましたし(以前はビデオ6本・・・ちとつらいですよね)。
こういう作品は、むしろストーリーだけで評価してくれる人に見てもらってこそ、価値があるというものです。
ガンダムオタクだけのものにしておくなんて、勿体ないったらありゃしない。

もしこの作品がセールスの面で成功していれば、「ガンダム」はそれこそより多様なドラマ・ストーリーを描きうる舞台として、その世界をより一層広げることができたかも知れません。
作品世界自体も、より豊かな内実を持つことができたかも知れないのです。
そういった可能性の芽を摘んでしまったのは、他でもないガンダムファン達の「僕たちのガンダム」への先入観、こだわりだったのだと思います。

この後、「アナザーガンダム」とも呼ばれる『G』『W』『X』などの、独自路線の新しいガンダムが次々とTVに登場します。
これらはクリエイター達の頑張りでそこそこ健闘したものの、それらの世界は決して「ファースト」中心のガンダム世界にフィードバックされることはありませんでした。

『SEED』『SEED DESTINY』についてはほとんど見ていないので、私には語る資格はありません。

ただ注意しておかなければならないことは、アニメーションは常に限られたリソースの中で創られているということ。
多額の制作資金を調達し、大勢のアニメーターやスタッフを動員し、それに見合うだけのセールス活動を行い、一定以上の売り上げを達成しないといけない。
そんな業界にあって「ガンダム」のような作品がでんと定位置に座って場所を譲らないということは、果たして業界全体の発展にとって有益なのでしょうか?

ベン・レイコック氏の「ブラックガンダマーズ」では、ガンダムシリーズそのものというよりは、類似するアニメ等を含めて「ガンダム的なもの」に固執する傾向そのものを批判の対象にしていました。
そのような「固執」こそがクリエイター達のチャレンジ精神に水を差し、アニメのあり方の幅を狭め、結果としてアニメそのものの発展を阻害してしまうのではないでしょうか?

「もうそろそろ卒業しましょうよ」

明るい未来は、そこからしか始まらないのですから。
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by hirokira1 | 2005-02-22 02:05 | Cafesta過去ログ
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