突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2005年 02月 15日
公理系、もしくは小宇宙
最近私がブログにはまっているということは、ここしばらくの日記を読んでくれている方にはよくおわかりかと思いますが・・・。
一つのテーマで芋づる式にいろんな意見や感想が読めるのがブログの醍醐味なのですが、ややもすると立場の違う人たちの不毛な論戦に行き当たったりして、気が滅入ることもあるのですよね。

そんな時に読んだのが次の文章。
「[at]眞鍋ブログこそが世の中を動かしていると思う」~at most countableより
(参照→http://at-most-countable.mo-blog.jp/at_most_countable/2005/02/at_7.html





このサイトの管理人のめたかさんって、そこそこ名が知れている割には書く内容が地味で、某サイトに「悲しい時~」ネタを送りまくる等おちゃめなキャラなのですが、地に足のついた論理的な文章を書く方なので私は密かにファンだったりします(笑)。

上の文章については、タイトルそのままの内容なのですが・・・。
眞鍋かをりさんが本人のブログで、
「自分のブログがここまで大きな反響をいただいていることに違和感を覚える」
「世の中をプラスの方向にほんの1ミリでも動かすことのできる熱いブログ・・・こそ本当に評価に値するブログなんだろうな」
などと悩んでいるのに対して、そんなことないよって言う話です。

だって、
眞鍋さんのブログを見て
「ブログって、なんか楽しそうだな」って思った人が、
どれだけたくさん居る事かって。
もう、それだけでも
眞鍋さんのブログは、世の中を大きく動かしたんだって
私は思う訳です。

ちゃんと見てる人っているんだなぁ、と思いました。

・・・ところで、眞鍋かをりって、何する人なの?

--------
ここから本題。

上で紹介した文章で、めたかさんは「「繋げる」のではなく「拒絶する」事を喜々としてしてる人」についても触れています。
こういうタイプの人が増えている(ように見える)こと、そして特にネット上でよく見かけることについては、私もあれこれ考えているところです。

この現象を理解するために、前に内田先生の本を紹介した時に持ち出した「公理系」という考え方を用いることはできないかな?というのが今回これを書く目的だったりします。
まあ、その時あまりに唐突に「公理系」なんて概念を持ちだしてしまったので、その言い訳および補足説明をしたい、というのもあるんですけどね。


そもそも、「公理系」って言葉、これまでに聞いたことあります?
私は、ないです(おいおい・・・(^^;)。

少なくとも、高校までの数学教育(文系ですが)では習った記憶はありません。

では、「公理」という言葉は?
こちらは、知らないとは言わせません。
皆さん、中学までには必ず習ったはずです。

「公理」とは、わざわざ証明しなくても当然正しいと考えてよい、基本的な決まりごと。
この公理を元にして、論理的に証明できることがらが「定理」と呼ばれる訳です。
証明問題などでさんざん苦しめられた人も少なくないでしょう。

私たちが高校までに習う公理や定理の多くは、一般に「ユークリッド幾何学」として知られているもので、紀元前3世紀頃にエウクレイデス(英語名はユークリッド)の名前で書かれた『原論』という書物の内容に基づいています。
このユークリッド幾何学を基礎にして、その後近代に至るまでのヨーロッパの科学が発展したわけです。
「木から落ちるリンゴ」のニュートン力学も、ユークリッド幾何学があって初めて生まれたものです。

ユークリッド幾何学における公理は、あくまでも我々が存在する世界の中で「わざわざ証明しなくても当然正しい」ことですから、その公理が成り立たない世界のことについて考える余地はありませんでした。

ところが、近代になって幾何学の研究が進むにつれて、この前提が崩れてきます。
19世紀になると、ユークリッド幾何学の中の「平行線公理」と呼ばれる公理を別の公理に置き換えても問題なく幾何学が成り立つことがわかってきました。
「非ユークリッド幾何学」の登場です。

ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学との違いは、しばしば平面と曲面/球面の違いとして説明されます。
例えば、学校で習った「三角形の内角の和」は常に180度だったはずです。
ところがこれを地球のような球体の表面で考えると、例えば北極を頂点とし、赤道を底辺とする"正三角形"の内角の和は・・・そう、270度になってしまいます。

平面を前提とするユークリッド幾何学と曲面を前提とする非ユークリッド幾何学は、どちらが正しくてどちらが間違っているというものではありません。
前提、つまりは公理が異なる世界がそれぞれ正しい世界として成立する。
この発見によって、初めて自分たちの世界を一つの「公理系」として相対化することが可能になったと言えるでしょう。

それでも学者達は、なお"完全なる"公理系、つまり世の中のありとあらゆる現象を説明できる世界の追求をやめようとしませんでした。
有名なところでは、ヒルベルトさんの「ヒルベルト・プログラム」などがありますが、要はどんな敵でもイチコロの"最強必殺技"が欲しかったということでしょうか?(←説明ぶっちゃけ過ぎ)

そんな学者たちの努力は、最終的にはゲーデルさんの「不完全性定理」によって引導を渡されることになってしまうのでした。

Wikipediaの「ゲーデルの不完全性定理」の項目(書きかけ)には、次のように書かれています。

第1不完全性定理 自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
第2不完全性定理 自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

つまり、
「内部に矛盾のない公理系には、決して解けない問題がある」
「内部に矛盾のない公理系は、自分が正しいということを証明できない」
ということになるでしょうか。

まあ、逆に言えば
「どんな問題でも必ず解ける」
「自分が正しいということを証明できる」
公理系は、間違いなく「内部に矛盾がある」ということになるわけで。

ゲーデルの定理が一般に受け入れられる以前の科学認識・世界観は、科学の発展によって人類はいつかは"完全なる"公理系を手に入れることができる、必ず輝かしいゴールが待っているというものでした。
しかしゲーデルの定理以後、それらの夢ははかなく消え去りました。
残ったのは、「無限に広がる大宇宙・・・」(←何のパクリだ?)ではない、必ず限界がありその外側に別の世界が存在することが分かっている「小宇宙」としての公理系たち。
私のようないい加減な人間にすると、それはそれで悪くない世界観なのですけれどね。

なんだかね、ネット上でよく見かけるようになった、いかにも自己中な人たちとか、非常に狭い視野でしかものを語れない人とかを見ていると、無性にこういう話を思い出すのですよ。
もちろんそれぞれに思うところはあるんだろうけれど、自分だけでは「不完全」で、自分の外側にもたくさんの別の宇宙があることを意識できない"公理系"って、見ているだけで切なくなります。

この話、長くなりそうなので続きはまた今度。

【参考サイト】
「ゲーデルと数学基礎論の歴史」~林晋先生のウェブサイトより
(参照→http://www.shayashi.jp/history/
・・・「不完全性定理ってなんだ?」他

「勝手に哲学史入門」
(参照→http://www.geocities.jp/enten_eller1120/philindex.html
・・・第5部第1章「集合論と不完全性定理」とか

「哲学的な何か、あと科学とか」
(参照→http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/index.html
・・・「哲学的な何か」の「不完全性定理」「公理」など
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by hirokira1 | 2005-02-15 00:57 | Cafesta過去ログ
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