突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2005年 02月 03日
ぷち書評 『先生はえらい』
覚えている方も少なくないと思いますが、私の畏友の一人(と勝手に思っている)だっくすふんとさんがブログをはじめたようです。

「だっくすふんと放言日記」
(参照→http://spaces.msn.com/members/dachshund/

かつてCafestaにいた頃から活発な言論活動をされていただっくすさんのこと、今後の活躍が楽しみですね。





--------
さて本題。

前回紹介した内田樹先生のブログに完全にはまっています。
で昨日、先生の新刊『先生はえらい』をついつい買ってしまいました。

この本について著者自らが紹介したエントリ(「販促発言」との本人の弁有り)は↓です。
「『先生はえらい』!」
(参照→http://blog.tatsuru.com/archives/000692.php

このエントリであらかじめ、

この本には生徒学生諸君の素行を難じることばも、家庭教育の不備を憂うことばも、自民党文教族を咎めることばも、ひとつとして書かれていないのである。
そのような教育論はきわめてレアであると申し上げてよろしいかと思う。
では、いったいこの本は何を難じているかというと、
驚くべきことに、何も批判していないのである!

というくだりを読んでいたので、私はてっきり、最近ではとっくに陳腐化した「先生はえらくない」という言説に対抗して「先生ってこんなにえらいんだよ~」と事細かに解説し、責められっぱなしの「先生」をおだて上げる本かと思ってました。

読み始めてびっくり。

この本は、「先生がどれくらいえらいかどうか」という検証をすっ飛ばして、

この本は「あなたが『えらい』と思った人、それがあなたの先生である」という定義から始まる

のです。

私なりに言い換えれば、"先生はえらい!"という公理系から出発する本ということになります。

公理系、ちょっと難しい言葉を使ってしまいました。
公理系とは、「一つの理論体系の出発点となっている公理の集まり。(後略)」(大辞泉)だそうです。
ま、この場合前提となる公理は一つしかありませんが(苦笑)。

よく考えてみると、あちこちで語られている

「先生ってホントはえらくないのでは?」
「先生のくせに役に立つことを教えてくれない!」
「先生だからってえらそうにするな!!」


などの批判的言動にしても、その根底にある意識は

「"先生はえらい"はずなのに実際は・・・」
「"先生はえらい"から役に立つことを教えてくれるはずなのに実際は・・・」
「"先生はえらい"なんて目障りでうっとうしい」


などと、やっぱり"先生はえらい"という前提から始まったものだったりします。

そういう意味では、先生に対する反発や批判のほとんどは、どこまでも"先生はえらい"公理系の中で展開されていると言えるわけです。
ですから、内田"先生"が"先生はえらい"公理系をまず設定してから議論を始めるのは、非常に真っ当な方法である、ということになります。

この"先生はえらい"公理系を最初からまるで受け付けていない存在と言えば、とりあえずは内田先生が上のエントリで述べている「首都大学東京」(略してくびだい)くらいでしょうか。
"くびだい"はかの都知事の「英断」のもと、見事なまでに"先生はえらくない"公理系に基づいて運営される方針のようです(詳しくはやはり内田ブログの「首都大学東京の光と影」
(参照→http://blog.tatsuru.com/archives/000688.php
をご覧ください)。
残念ながらもう後戻りはできそうにありませんから、せめて失敗に終わるとしても、"先生はえらくない"公理系がどの程度使えるものなのか(そしてどの程度使えないものなのか)を徹底的に検証して欲しいものです。
"先生はえらくない"公理系の是非が具体的に検証できると思えば、そのために費やされる都民の(そしてもちろん国民全体の)血税も決して無駄にはならないでしょう(思いっきり皮肉)。

やや脱線してしまいましたが。

この本も随分と派手に脱線してくれます。

「恋愛と学び」
だの、
「教習所とF-1ドライバー」
だの、
「オチのない話」(あ、この本にはありますよ、オチ)
だの、
「前未来形で語られる過去」
だの、
「大航海時代とアマゾン・ドット・コム」
だの、
「あべこべことば」
だの、
「あなたは何を言いたいのですか?」(爆)
だの。

これだけあちこちに話が飛び回ったあげく、
「先生はえらい」
と最初の公理に戻って終わるわけですから、著者本人が

なにしろ書いた本人が最後まで読み終えたあとに、「どうしてこういう結論になるんだっけ...?」と訝しく思って最初から読み直したくらいである。

と仰るのも頷ける話です。
(も~、先生ったら、お・と・ぼ・け!)

この本で何が書かれているか、とても一言では語り尽くせません。

恋愛論?
「学び」の本質論?
コミュニケーション論?
経済論?
言語論?
文学論?

全部アタリ。
でも、そのいずれもが内田先生に言わせれば
「読者の側の「錯覚」であり、「誤読」であり、ひどいときには「関係妄想」に類するもの」
なのです。
書評しようとする立場から言わせてもらえば、どうしようもなく困った本です、ええ。

仕方がないので、ネタバレ覚悟でこの本の核心部分を言うと、
「"えらい先生"と呼べる人が最初からいて、その人に運良く出会えさえすればありがたい教えを与えてもらえると思っている限り、"えらい先生"には決して出会えない。
 誰でもいいから"先生"を見つけてその人を"えらい"と思いさえすれば、たとえその先生が何も教えてくれなくても、学びの道は自ずと開けてくる」
といったところになるのかも知れません。

え?何のことかさっぱりわからない?
どこがネタバレなのか理解不能という貴方。
またしてもアタリ。

だってこれ、本の表紙に書いてあるキャッチコピーとほとんど同義ですから(爆)。

これが実はネタバレだということを理解(著者の言を借りれば「誤読」)するためには、実際にこの本を読むしかないのです。

ここまで読んでまだ納得できない貴方。
とりあえず、本屋で買って読んじゃいましょう。
税込みで798円ですけど、一読すれば損をしたと思うことは決してありません。
何しろこの本は、798円という貨幣価値と本を読むことの価値を比べることが無意味だと悟ることができるように「構造化」されていますから(爆)。

この本は「ちくまプリマー新書」ということで中高生向けですから、言葉遣いが難しすぎてわからないということはまず無いと思います。
ただ、一読しただけで何を言わんとしているのかを「完全に」読み取ることは、多分不可能でしょう。
なぜなら何度読み替えしても「誤読」するように「構造化」されているから(爆)。
まあ、何度でも面白く読み返せるわけですから、お買い得な本だと言うことだけは胸を張って言えますけどね。
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by hirokira1 | 2005-02-03 23:32 | Cafesta過去ログ
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