突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
以前の記事
最新のトラックバック
フレーミングは終わらない
from tracker's burrow
わかってらっしゃる!!
from 俺の心のままに
ふたつの国民
from 真夜中の国語辞典語彙blog
遺書もなく去る人を止めな..
from BigBang
それでも前に進むには
from あんなこと、こんなこと。どん..
(無題)
from 日本について考える
(無題)
from 日本について考える
皇室典範改正問題と天皇制
from incompleteness..
★継ぎはぎドラマ\(^o..
from ★恋人という名の猫★猫とAr..
スローなブログにしてくれ
from 5号館のつぶやき
メモ帳
フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


2005年 01月 29日
新聞記者ブログの真価
Cafestaが重くて繋がらない合間に、面白いサイトを見つけました。

「内田樹の研究室」
(参照→http://www.tatsuru.com/

大学の先生なのですが、特にブログが面白いです。
最近のエントリだと、例えば「社会理論の汎用性と限界」を読むと、フェミニズム論や社会学を勉強しなくても上野千鶴子の向こうを張れる(気分になります)。
(参照→http://blog.tatsuru.com/archives/000712.php

そういうややこしい話の苦手な人でも、「正しい歯医者の見分け方および昔のゼミ生と会ったときの適切な応対について」なら気楽に読めて、しかもちょっとだけ偉く(なったような気分に)なれるかも知れません。
(参照→http://blog.tatsuru.com/archives/000707.php





どちらもきれいにオチがついているのがいいです。「構築主義」とか「ポスト構造主義」みたいな難しそうな言葉が理解できなくても、多分高校生以上の読解力があれば面白く読めそうですし。

というわけで、当分は読むものに困らずにすみそうです。
きっと、実際の講義も面白いんでしょうね。
機会があれば、一度"潜って"みたいものです。
もっとも、女子大なので特定の困難が予想されますが・・・(爆)。

--------
さて本題。

昨年来、新聞記者の書くブログが話題になってきているようです。
私はこれ(↓)を読んで初めて知りましたが。

「自分の声でしゃべりはじめた企業内ジャーナリストたち」~歌田明弘の『地球村の事件簿』・2004.12.10より
(参照→http://blog.a-utada.com/chikyu/2004/12/post.html

最近、私もいくつか定期的に読ませていただくようになったものを列記しておきます(先日取り上げた団藤氏のものは除く)。

「ジャーナリズム考現学」
(参照→http://halberstam.blogtribe.org/

「ネットは新聞を殺すのかblog」
(参照→http://kusanone.exblog.jp/

「ガ島通信」
(参照→http://blog.livedoor.jp/zentoku2246/

「札幌から  ニュースの現場で考えること」
(参照→http://newsnews.exblog.jp/

上の3つは歌田氏も紹介しているんですけれどね。

歌田氏も書いているように、新聞記者(もしくは新聞関係者)が自分のブログを持って意見を発信するというのは、容易なことではありません。
一般人からは「マスゴミ」などと白い目を向けられ、一方では新聞社の偉いさん達に「職務を離れて勝手なことを」「社の財産たる取材情報を持ち出されてはたまらない」などと訝しがられ、いわば板挟みの状態でなおかつ勤務外のわずかな時間を使って文章を書いていくわけですから。

ともかく、こうしたブログを存続させるというそれだけでも、十分に大変なことなのです。

ただし、主に勤務先の新聞社との関係で、記者としての取材結果がブログの内容に反映されることはまずありません。
手持ちの情報が一般のブロガーとほとんど変わらない状態で、どうやって記者ブログとしてのアイデンティティを主張するか・・・それぞれに苦心されているようです。

ただし、上に挙げたものの中で、「ガ島通信」だけはちょっと趣が異なる・・・というか、かなり心配になる部分が見受けられます。

例えば、2005年01月27日付けの「日本は哀れな国...」
(参照→http://blog.livedoor.jp/zentoku2246/archives/13136466.html

最高裁での判決が出た「都管理職国籍条項訴訟」での敗訴について、原告の女性が記者会見の場で「哀れな国」「日本に来るなと言いたい」などと発言した様をテレビで見て、
私は昨日から「差別主義者」になりました。

と反感を露わにする・・・というのが当初の内容です。

このエントリに対してあれこれとコメントがつき、かなりにぎやかになっているのですが、ここでは「訴訟」や原告の発言の是非については触れません。

ただ、「ガ島通信」氏がこのエントリを"記者ブログ"として書いたとすれば、どうにも釈然としないものが残るのです。

それは、このエントリに対して「札幌から ニュースの現場で考えること」の高田氏が書いた「哀れな国」の意味」と読み比べて見るとよくわかります。
(参照→http://newsnews.exblog.jp/458712#458712_1

詳しくはリンク先で読んでいただくとして、高田氏は伝えるべき言葉のひとつひとつを読み解いて正しく伝えるために、感情的に反応するのではなく理性的に問いかけていく(それも取材対象だけではなく恐らくは記者自身に対しても)という作業こそが必要なのだと述べています。

これに対して「ガ島通信」氏の方は追記の方で、「おっしゃることはごもっとも」「しかし、今回の訴訟は在日という、部落問題、天皇と並ぶ新聞のタブーに直結してい」るのでそれは「難しいのではないですか?」と答えています。
この追記の末尾にある
「危ない」「問題になりそう」だから書かない。メディアの自己規制。それは、政治家の文句が怖いNHK幹部と同じではないのでしょうか。

に対して、高田氏はコメントとしてメディアのタブー・自己規制を打ち破るためにもやはり「応答の連続」「問い返し」の作業が必要なのではないかと補足しているのですが、「ガ島通信」氏との議論が噛み合うところまではまだ行っていないようです。


このやり取りについて言えば、私は「ガ島通信」氏より高田氏の方により共感を覚えます。

「ガ島通信」氏のブログにおけるスタンスは次の点に集約されるように思われます。
「自身の喜怒哀楽を率直に書いてきたつもり」
「記者は聖人でもなんでもありません」
「キレイゴトで塗り固められたマスコミ人のふりは、せめてブログ上だけではやるまい」

これはこれで、間違ってはいないでしょう。

しかし、これを高田氏のような、記者として目の前で起きていることに対してどのように向き合うべきか、どのような役割を果たすべきかを自問自答しながら書いている人の姿勢(恐らく残りの2つも同様だと思われます)と比べると、どうにも浅すぎる、というより当事者としての問題意識に欠けていると言わざるを得ません。

一つ一つの事件・出来事には当然、それぞれに深い背景や事情があるわけですが、限られたニュースの枠の中で全てを伝えることなどできません。
ネット環境の発達によって紙面や番組の時間枠の制約から解き放たれたにしても、受けての一般人が一つ一つのニュースの背景・事情を全て読むことなどできないのです。
それぞれに生活がありますし、何より1日は24時間しかありませんからね。

一つのニュースに振り向けられる限られた分量の中で、如何に事実に近い、奥行きのある内容に仕上げるか・・・高田氏の指摘は、マスコミに携わる者としては極めて本質的であり、それゆえに真摯に「問い返し」続けることは時として辛く苦しい仕事なのだと思います。
少なくとも、「ガ島通信」氏が言うような「キレイゴト」ではありません。
むしろ「本質に切り込む」ためには不可欠の作業なのです。

一般に「マスゴミ」として批判される内容は様々です。
「ガ島通信」氏が特に問題視している「マスコミ人の特権意識」もその一つ。
しかしそれ以上に本質的な問題として、「何の」「どの部分を」「どのように」伝えるかという、取捨選択の価値判断が信用されなくなっているという問題があるように思われます。
話題になっている出来事、人々が食いつきそうな事件のセンセーショナルな部分のみを適当に切り売りする。
そういうマスコミの"いい加減さ"に人々が気づき始めたからこそ、鼻につく「特権意識」に対する反発が吹き出しているのだとも言えるでしょう。
事態を改善するのに特効薬はありません。
ただ、高田氏のような地道な志を「キレイゴト」としか受け止められず、十分に理解できないままでいるうちは、「ガ島通信」氏の「マスゴミ」批判は状況をよくする方向には作用しないような気がします。
"記者"という看板を掲げているだけで、新聞記者としてのジレンマを受け入れない限り、本当の意味での「新聞記者ブログ」にはなり得ないのではないでしょうか?

他の3つのブログを読んでいると、記者としての情報面での優位性はないものの、それぞれ新聞記者としての問題意識を掲げつつ、論理的かつ内省的な態度からそれぞれの文章を紡いでいる、そんな感じを受けます。
新聞記者としての実体験と問題意識を生かして、断片的な情報からその深層を読み解いていく様をブログ上で具体的に見せてもらえる。
一方で優先的に情報ソースにアクセスできるという利点から離れ、普通の人たちと同じ土俵で自らの価値判断を見つめ直すことが出来る。
そういう形で、記者・ブロガーの双方にとって有意義な関係を築くことができれば、「マスゴミ」の方も、またややもすれば感情的に流れやすいネット上の(そして社会一般の)言論の方も少しずつ改善してゆけるはずです。
そういう関係を築いてこそ、初めて「新聞記者ブログ」の真価が発揮されるのだろうと私は思うのです。

最後に一言。
今回は「ガ島通信」氏にかなり厳しい内容になってしまいましたが、決して「ガ島通信」に否定的になっているわけではありません。
例に挙げたエントリ一つにしても、何度も追記がなされているように、彼なりに自問自答を繰り返していることは書き添えておくべきでしょう。
そういう部分も含めて、やっぱり「記者ブログ」頑張れ!なのです。
[PR]
by hirokira1 | 2005-01-29 00:22 | Cafesta過去ログ
<< ぷち書評 『先生はえらい』 Cafestaのビジネスモデルとは? >>