突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 10月 17日
噛み合わない論争から
ええっと、随分とご無沙汰しておりました(^^;

開店休業状態が半月以上続いていたにもかかわらず、毎日どなたかが様子見に来てくださっていたようで、ただただ恐縮しております。
実生活の多忙はまだまだ続きそうですが、ひとまず生きてはおりますのでご安心くださいませ。

しばらく来ない間に、知り合いが何人か姿を消してしまったようで・・・ちょっとショックを受けております(まあ私もあまり人のことは言えないのですけどね・苦笑)。
やはり当分はゆっくり皆さんのページを回る余裕もありませんが、とりあえず存在証明も兼ねて何か書いておくことにします。





以前、白田秀彰氏の文章を紹介して、いろいろと論争になったことがありましたが、ネット上でもいろいろ反響があったようです(・・・って、ここはネット上じゃないんかい!・爆)。
その中でも、特にkagami氏という方がかなり激しい批判をしていて、白田氏との間で一種の「論争」になっているようなので、備忘録代わりに紹介しておきたいと思います。

白田秀彰 の 「インターネットの法と慣習」
 第13回 法と政治の基盤について

(参照→http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/shirata/040831/textonly.html

アドルフ・シラターの誕生 -我が法律-(kagami氏サイトより)
(参照→http://mazoero.hp.infoseek.co.jp/utas.html

白田秀彰 の 「インターネットの法と慣習」
 第14回 いただいた投稿へのフォロー I

(参照→http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/shirata/040928/textonly.html

民主主義の利点 -プロセスの開示と明示について‐(kagami氏サイトより)
(参照→http://mazoero.hp.infoseek.co.jp/utas2.html

一応時系列順に並べるとこんな感じのようです。
読んでいただければわかりますが、kagami氏の読書量・知識量たるや相当のもののようです。
少なくとも学識においては、私など到底足下にも及びません。
もしかしたら白田氏でさえそうかも知れないと思うほどです。

ただし、kagami氏の論旨は刺激的・挑発的でなおかつ一見するとわかりやすいのですが、細部の論理展開には疑問を感じるところが少なくありません。

一点だけ挙げておくと、「民主主義の利点」の中で白田氏が述べている「最高の理性と知性」に対する批判などが当てはまります。

kagami氏は「最高の理性と知性」が現実にはまるであてにならない実例として、悪名高いプロ野球コミッショナーの根来泰周氏と薬害エイズ事件の元凶とされる安部英氏を挙げておられます。
この二人は片や元公正取引委員会委員長で「高名な法律家」、片や元帝京大副学長で血友病治療の「権威」ですが、その肩書きに比してどうしようもない人物であることは、もはや説明の必要もないかと思います。
ただ、この人たちがダメダメだということから即「最高の理性と知性」はあてにならないとするのは、あまりに無理な主張とは言えないでしょうか?

実際、例としてあげているkagami氏ですら、彼らのことを

社会的に最高の知性と理性を持つとされるエリート(=学者)』

としか呼んでいません。
「社会的に」とか「・・・とされる」とかいった表現をわざわざ付けなければならなかったこと自体、kagami氏本人ですら彼らが「最高の知性と理性」を持ってなどいないことを認めている証拠です。
本来白田氏が述べている「最高の理性と知性」とは決してそのような「エリート」の肩書きなどではなく、kagami氏がわざわざ「理性と知性」から切り離して力説している「倫理」をも含んだ、より長いスパンで構築・検証されてきた価値体系全体のことを指していると思われます。
そういう意味では、kagami氏のこのような(意図的か、無意識かはともかくとして)「論点ずらし」はあまりうまくいっていないように感じられます。

少なくとも、白田氏の文章の論旨に即してkagami氏の批評を読むと、こういった「論点ずらし」がいくつも見られるようで、そこのところは残念な気がします。
ただ同時に、kagami氏と白田氏の「噛み合わない論争」を読んでいく内に、なぜこのような反論が出てくるのかが、私の中で少し分かってきたような気もします。

つまり、

1)特に日本で顕著なのかも知れない「エリート」認識のずれ

2)民主主義的プロセスに対する信奉とそれが機能するための前提に対する無自覚


他にもあるかも知れませんが、少なくともこの二点においてkagami氏と白田氏の問題意識は全くずれています。

1)については白田氏も御自身のウェブサイトで少し触れていますが、私はむしろ「受験エリート」観念が日本では特に強いため、「エリート」という言葉に過剰反応してしまっているのではないかと思っています。
まあこれは日本だけの事情ではないのかも知れませんが、「受験エリート」に対する反発感情が国としての教育制度すら動かしてしまう現実は、やはり普通ではないような気がします。
「最高の理性と知性」が「象牙の塔」にすり替えられてしまうのも、こうした過剰反応と無縁ではないはずです。

2)については、私が白田氏を紹介した際にもいろいろご意見をいただきました。
白田氏にしても私にしても、民主主義的プロセスの重要性にケチをつける意図は全くありません。
ただ、民主主義的プロセスが有効に機能するためには、その前提としての「基盤」がきちんと準備されなければならない、という問題意識が民主主義自体を尊重する意識に比べてあまりにも希薄である、ということは問題です。
一般に民主主義的プロセスは「少数意見を尊重しつつ」「多数の合意に基づいて意志決定をする」ということになっていますが、この両者は互いに相反する論理です。
この相反する論理を両立させるためには、民主主義的プロセスとは別の論理を共有することが必要になります。
その「別の論理」を模索する動きを“民主主義的プロセスを否定するのか”などといって受け付けないようでは、一歩も前には進めません。

kagami氏の批評を読んでいると(あるいはここであった議論を振り返ってみると)、この二点において白田氏への批判、あるいは心理的反発は現在の日本社会の多数派の感覚を代弁しているように思えてきます。
本来、理性や知性といったツールは、絶対的権力の奪取をもくろむ輩と対抗するために必須の武器なのに、こんなことで安易に手放してしまっていいんだろうか・・・私としては正直不可解なのですが。

まあ、白田氏の文章もそう考えると現代日本の多数派の感覚からは乖離した部分があるわけで、そういった意識のずれを念頭に置いた上で、そんな多数派と真剣に向かい合って議論して欲しいなぁ、という気持ちもあります。
単に紹介しただけの私でもそれなりに大変だったのですから、そもそもそんな文章を書いた白田氏がまず「基盤」づくりに汗を流してもらわないと、ね。
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by hirokira1 | 2004-10-17 23:27 | Cafesta過去ログ
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