突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 09月 14日
多様化する情報、単純化する意識
9.11テロに関連して、浅井久仁臣氏が次のような文章をブログ記事として公開しています。

「同時多発テロの日に書くシネ・リテラシー」
(参照→http://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi/e/1a655ce2130eb0f8343c0daf981755df

本題としては、アメリカのソマリア介入について描かれた『ブラックホークダウン』と、今話題の『華氏911』という正反対の映画を題材に、「シネ・リテラシー」・・・つまりその映画に込められたメッセージをどのように受け止めるべきかという問題を扱ったものですが、まあそちらの方は本文を読んでいただくとして。





ここで取り上げるのはその前段部分、ある意味では既に言い古されている感のある「メディア・リテラシー」の方です。

・・・(前略)・・・メディア・リテラシーをひと言で言ってしまえば、現代社会に溢れている「情報をどう読み取るか」だが、なぜこれほどまでにこの言葉に注目が集まるのか。
 
 それはまず、情報があまりに多すぎて「受け取り手」に混乱が生じ始めていることが原因として挙げられる。「送り手」が情報を送ってもきちんと受け取られない可能性が心配されるようになってきたのだ。丁寧に、読み手の側に立って整理して情報を送らないと伝わらないようであれば、送り手の側が変わらざるを得ない。特に、広告や広報の分野においては深刻な事態を招きかねない。だからこれらの業界の人たちは、メディア・リテラシーに関しては、相当高いレヴェルまで研究されているやに聞いている。


ここで私が気になったのは、「情報があまりに多すぎて「受け取り手」に混乱が生じ始めていること」でした。
現実には、もはや混乱しているのは「受け取り手」だけではありません。
本来なら膨大な情報を適切に整理して発信すべき「送り手」も、昨今の状況を見るととっくに混乱しているように思えます。

どうして「情報があまりに多すぎ」る状況が生まれたのでしょうか?
いろいろな原因が考えられるでしょうが、すぐに思いつくものとしては、“グローバリゼーション”に伴う国際的相互関係の密接化、社会の発展に伴う価値観の多様化、インターネット等の発展に伴う情報発信の多様化、といったところでしょうか?
様々なレベルで自分たちの「世界」が広がれば、その「世界」を知るための情報は飛躍的に増大します。
それぞれの情報は異なる立場や価値観に根ざしたものであるだけに、その膨大な情報を処理するために要求される感性・知識・思考・・・つまりは「教養」・・・の豊富さも相当のものになります。

ここからはまだ思いつきのレベルに過ぎないのですが・・・。
このように「情報があまりに多すぎ」、なおかつそれを適切に処理する能力がない場合はどうなるでしょう?
受け取る情報の量自体を絞って、処理不能な状態に陥らないようにすることも可能でしょう。
より処理能力の高い「誰か」を見つけて、その「誰か」が整理する情報だけを信頼するというやり方もあると思います。
それぞれどのように情報の量を「絞る」か・・・すなわち情報をどのように取捨選択するか、またどうやって信頼の置ける「誰か」を選別するかという問題が残されていますが、いたずらに混乱するよりはまだ賢明なやり方でしょう。

最近、巷でよく言われているような日本社会の「右傾化」、あるいは「体制化」というような現象も、実は同じような構図で考えられないでしょうか?
そんなことを、浅井氏の文章を読んでから改めて考えています。

情報を取捨選択する際、自分の立場に近いものを優先し、遠いものを切り捨てる態度は、「情報の洪水」から自己を守る上では相当に役に立ちます(もっともこれは右だろうが左だろうが、体制的だろうが反体制的だろうが同じですが・・・)。
自分の立場と反する意見に「ウヨク」あるいは「サヨク」というレッテルを貼り付けて排除しようとする主張に、もとより思想的な裏付けなどありはしません。
むしろ、自分の能力では処理不能な「情報の洪水」から身を守るための一種の“社会的適応”と考えた方がわかりやすいのではないでしょうか?

この意味では、「左」「反体制」の立場に立つよりは「右」「体制」の立場に立つ方がより有効です。
なぜなら「左」「反体制」の立場だと、決して一枚岩ではない「民衆」の様々な立場やファクターを考慮しなくてはならないからです。
「右」「体制」の立場に立てば、見かけ上は単一の「国家」や「体制」だけを考えればよいことになります。さらに「国家」や「体制」を「権力」に置き換えてしまえば構図はより単純です。

恐らく、「テロに対する戦い」というスローガンも、同様の魅力を持つ“社会的適応”の一種ということになるはずです。
自分たちの価値観では理解できないもの、うまく対処できないものを全て「テロ」という言葉の中に押し込めてしまうことで、そういったものと向かい合えば生じるであろう「混乱」を回避することができるというわけです。
言うまでもなく、それでは何の問題の解決にもならず、結局は困るのですけれどね・・・。


もしそういった「情報の洪水」に飲み込まれそうな方がいらしたら、例えばリンク集にも挙げてあるMAMO氏のサイトの「日録メモ風の更新情報」を参考にしてはいかがでしょうか?
(参照→http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/whatsnew.html
最近はいろいろと「熱い」解説が続いていますから、情報を整理してくれる「誰か」としては相当に信頼が置けること、私も保障します。
本当ならMAMO氏が指摘している問題をここで詳しく紹介できればいいのですが・・・時間がないのでまたそのうちに(苦笑)。
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by hirokira1 | 2004-09-14 22:44 | Cafesta過去ログ
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