突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 09月 11日
揺らがない社会づくりのために
今日は9.11テロからちょうど3周年。
あちこちのメディアで関係する話が取り上げられているようです。
きっと、Cafestaでもあちこちで書かれていることでしょう。
まだ見てないけど・・・(^^;


さて、膨大な関連記事をいちいち見てるときりがないので、今日はひとつだけ紹介しておくことにしましょう。

「9・11テロ 失敗から学ぶ」〜船橋洋一「日本@世界」より
(参照→http://www.asahi.com/column/funabashi/ja/TKY200409090134.html





 9・11テロ事件とは何だったのか。テロはなぜ、防げなかったのか。そこからどのような教訓を学ぶべきか。

 米議会が有識者に委嘱してつくった超党派の「9・11テロ独立調査委員会」(トマス・キーン委員長)がこのほど発表した報告書は、これらの問いに正面から答えようとしている。


この報告書については、すでにあちこちでニュースとしてとりあげられていますし、またその中に含まれている疑問点や限界などについても、少なからず指摘がされているようです。
が、船橋氏はこの報告書をあくまでも肯定的に評価し、その中で提示された大きな枠組みとしての「失敗」から教訓を汲み取ろうとしています。

 すべては「政府は国民を守ることに失敗した」(キーン委員長)との痛切な認識から出発している。その際、「四つの失敗」があったとする。想像力、政策、能力、経営の失敗である。

・・・(中略)・・・

 想像力の欠如は、相手の文化と歴史に対する無関心からも来る。02年に米国のすべての大学において、アラビア語で単位を取った学生は6人に過ぎなかった。報告書は、90年代の米国一人勝ちの過程で生まれた米国の世界に対する無関心と世界の米国に対する妄執との「文化的非対称性」に言及する。

 「われわれにとってはアフガニスタンはとてもとても遠いところのように思えた。しかし、アルカイダは米国をごくごく近いものととらえていた。ある意味では、彼らはわれわれよりはるかにグローバル化していた」


船橋氏は「四つの失敗」すべてを紹介しているわけではありません。
もう一つ取り上げられている「経営の失敗」では、縦割り行政の弊害を克服するために「国家情報長官」設置が提言されていることに触れ、それに対して氏は疑問符をつけています。
予想外の事態に対して新ポストを設置するというのは、日本でもありがちの安易な対応であり、反面教師として敢えて言及したのでしょう。
日本にとってどのような読み方をすれば最も有益か・・・謙虚でかつ穏当な態度だと思います。

この「想像力の欠如」の問題が詳しく述べられているのも、これが日本人にとって同様に、いやアメリカ人以上に深刻な問題だということであり、読み手として真摯に受け止めるべきでしょう。

その上で、まとめとして次のような文章で締めくくられています。

 委員会は、公文書を中心に250万ページに目を通し、世界10カ国、1200人にインタビューし、主要閣僚を含め160人を公聴会の証人として呼び、大統領、副大統領からも話を聞いた。状況の再現力の的確さと読みやすさも含め、報告書は調査報道の金字塔である。ピュリツァー賞ものだ。真実究明に手間ひまかけ、その成果を一般国民に提供する。米国が抱える数多(あまた)の課題にもかかわらず、ドキュメンテーション、つまりは民主主義の強みが遺憾なく発揮されている。

 翻って、日本で9・11テロ事件が起こったとして、国民はこのような報告書を手にすることが出来ただろうか。情報収集の厚み、データの重み、議会の調査能力、スタッフ機能、そしてなによりも国民への説明責任。日中戦争も太平洋戦争も90年代経済敗戦も拉致事件も、日本の政府と国会は、自らの手で真相を究明し、そこから教訓をくみ取る報告書を何一つ出してこなかった。

 報告書を読みつつ、そのことに改めて暗然とする。失敗から学ぶ力を持つ国かそうでない国か、恐らくその差が、国々の盛衰を決めるのだろうなどと思いながら。


あちこちで物議を醸しているように、この報告書には不十分な点、限界があるのかも知れません。
超党派だからといって9.11後のアメリカに見られる独特の雰囲気や価値観から自由ではないでしょうから、それもある程度はやむを得ないものかも知れません。
未だ本当の意味での平静さを取り戻したとは言えないアメリカの現状を考えれば、この報告書がどれだけその改善に役立つか・・・難しいところでしょう。

しかし、社会を揺るがすような大事件を徹底的に検証し、その結果を積極的に社会一般に還元して今後の教訓にしようとする見識は、やはり素直に評価すべきではないでしょうか?
その意味では、些末な矛盾点や偏りを過剰に取り上げる連中の“陰謀論”よりは、船橋氏の論評の方がはるかに傾聴に値すると思うのです。

実は先程テレビで、ビートたけしの「ブッシュは全てを知っていた!?7つの疑惑」の最後の方を見かけたのですが・・・。
事件にまつわる様々な疑惑については、私の中でも結論は出ていません。
ただ、「実は誰の陰謀だったか」というのは、恐らく社会を守るという問題意識から見れば明らかに“二の次”の問題でしょう。
“陰謀”を仕掛けられても揺らぐことなく、適切な対処のできる社会をつくることができれば、そして社会の構成員に適切な判断能力が備われば、社会を身勝手な方向に誘導しようとする“陰謀”はそもそも力を持ち得ません。
容易に答えのでない「謎解きミステリー」に興じる暇があるなら、「揺らがない社会」づくりのためにどうして知恵を出しあえないのか?と思ってしまうのは、私ひとりでしょうか?

何せ我々には、“たかだか”3人の人質を取られただけであそこまで平静さを失い、あわてふためいたという恥ずかしい前歴があるのですから・・・。
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by hirokira1 | 2004-09-11 22:20 | Cafesta過去ログ
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