突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 09月 08日
「民主的プロセス」の幻想?
軽い気持ちで白田氏の文章を紹介したばっかりに、自分でもなかなか収拾がつかない状態になっています。
その原因の一つはもちろん私の紹介が安易すぎたということなのでしょうが、もう一つ、白田氏が「文化的・政治的社会基盤」は「民主的プロセス」では行い難い、「エリート」の「最高の理性と知性」に委ねるしかないのではないかという結論に対して、当初私も抱いたような“違和感”があるように思えます。

「エリート」に対する反感はともかく、「民主的プロセス」に対する誤解を解きほぐそうとあれこれ書いてみたのですが、十分には成功していないようで・・・スミマセン(^^;;

ひとまず、前回の日記を補足する形でこの問題を再考してみたいと思います。






前回も述べたように、私が通っていた学校ではいろいろな先生が「教養」を教えるべく、様々な工夫をこらした授業をしてくださっていました。
まだ書いていない話では、例えば理科の授業で「観察」行為の非客観性から認知論の説明を通じて「科学」の概念がどのように変化したか、とか・・・(取りあえず今回は端折らせていただきますが・苦笑)。
少なくとも知的好奇心の面では退屈しなかったですね。

ただ、そういう授業を受ける生徒はと言えば、そんな授業に対してあまり肯定的な評価を下してはいませんでした。
「おもろいから、ええやん」(だから何故に関西弁?・爆)と好意を示す私のような生徒は明らかに少数派で、大多数は「点数になることを教えてくれない」という不満を含む、どちらかと言えば否定的な評価だったと記憶しています。
彼らにしてみれば、よい成績をとって大学受験で「成功」し、バラ色の将来を保障してもらうことが何よりの関心事だったのでしょうか・・・。

もしあの時、学校で「民主的プロセス」による学習内容の決定がなされていたとしたら、まず間違いなく「教養」は排除され、ひたすら「点数になること」だけが教えられることになったはずです。


だから、「教養」すなわち「世界をつくるコミュニケーションの基盤」は「民主的プロセス」に委ねては駄目なのです。


実際のところ、「民主的プロセス」は確実に学校教育における「教養」を侵蝕しつつあります。
少子化などの要因から学校間の競争が激化するに従い、教育現場に「顧客サービス」「実績主義」を強いる傾向がますます顕著になってきました。
「顧客」すなわち生徒の親たちが学校の「サービス」や「実績」をどのように評価するかが、学校教育の内容に大きな影響を与える状況があるわけです。
そういう意味では、「顧客」=生徒の親たちによる(間接的な)「民主的プロセス」が学校教育を左右していると言えるでしょう。
そして、現在最も力を持つ評価基準が「受験における成功」であることは言うまでもありません。
受験偏重の学校教育が問題になるとすれば、それは「教養」の取捨選択を「民主的プロセス」に委ねてしまった弊害を表していると私は思います。

例えば学術の世界においては、必ずしも「民主的プロセス」による承認が価値を持つわけではありません。
新しい学説が提起されてそれが「通説」になるまでには、多くの学者による検証と承認が積み重ねられることになります。
その意味ではこれを「民主的プロセス」とみなす向きもあるかも知れません。
しかし、それは決して多数決の論理で決まることではないのです。
それはあくまでも多くの「科学的合理性」によって様々な側面から検証を受け論理を補強されたから、「通説」としての評価を得るに至ったに過ぎません。
「科学的合理性」を持たない賛成票がいくら多くても、学術的には意味を持ちません。
こう考えると、「通説」を支えるのが「民主的プロセス」ではなくて「科学的合理性」であることが見えてくるのではないでしょうか。

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以上、「民主的プロセス」についての私見を述べたわけですが、白田氏の問題関心から言えば、こういう議論は白田氏の議論の前提条件でしかないことも確認しておかないといけませんね。

人為的に構築されたインターネット世界の拡大と発展は、現実世界の感覚では理解しがたい様々な問題を引き起こすことになりました。
このままの状態を放っておくと、現実世界の権力による介入を余儀なくされ、結果として非常に息苦しく危うい「管理」がなされることになりかねません。
そうならないためにも、ネット世界でのルール作り、秩序構築を個々の自由な行動選択に任せる(=広い意味での「民主的プロセス」ですね)のではなく、世界全体を見通して最善の選択肢を選びうるだけの能力を持つ人に穏当なルール作りを期待したほうがいいのではないでしょうか?

白田氏の問題関心を極めて荒っぽくまとめるとこういうことになるのでしょうか?

実は少しずつ時間をかけて、ようやくHotWired連載の白田氏コラムは全部目を通すことができました。
正直書きたいことは山ほどありますが・・・生半可に紹介するのはよろしくないでしょうし、当分はこのネタは寝かせておきたいと思っています。
どなたか別の角度からレビューしてくれるといいんですけどねぇ・・・。
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by hirokira1 | 2004-09-08 22:57 | Cafesta過去ログ
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