「公安」は誰にとって必要なのか? |
『東京新聞』の次の記事について、実はサイトに掲載された日から注目していました。
「『アルカイダ関係者』で逮捕の外国人〜『シロ』でも重い風評被害」 (参照→http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040827/mng_____tokuho__000.shtml) 私は以前、ここの日記でこの事件に対する事後検証報道の必要性を指摘したことがあります(今読み替えしてみると文章のつたなさに赤面しそうなので、タイトルなどは敢えて明記しません^^;)。 他のメディアがフォローしていないかどうかは未確認ですが、東京新聞がこういう記事を扱ったことに対しては納得できるような気がします。 是非この記事を踏まえた文章を書こうと思ったのですが、間をおかずに常岡浩介氏に私の思っていたことを書かれてしまいました。 「日本で一番無能な人たち」=2004年08月27日付 (参照→http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=20040827) さらに・・・ついさっき読ませていただいたのですが、だっくすふんとさん(dachs_hund)の今日付の日記でも、この東京新聞の記事が紹介されています。 やはり、このニュースのインパクトはそれだけ強いってことでしょうか。 冒頭のURLからお読みになってもよいのですが、だっくすさんの方では記事が“全文引用”されておりますので、だっくすさんの論評ともどもお読みになることをお勧めします。 東京新聞の記事で扱われているリオネル・デュモン事件に絡めた“アルカイダ”捏造・誤逮捕事件の他に、常岡氏は「公安」の“害悪”(“失態”ではありません、念のため)について、次のように述べています。 公安調査庁は以前、ロシア対外情報局SVRに唆されて週刊文春にデマを流し、 イラク人質事件の「自作自演」説は、その根拠の薄弱さと相反して相当に根強いものがあり、見ていて異様なものを感じていたのですが、こういう背景があったとは・・・。 これらに比べると“害悪”の程度が小粒に感じるのが不思議ですが、もう一つ記憶に新しいところでは国松警察庁長官狙撃事件のずさんな捜査なども思い浮かびますね。 この事件の不可解さ・不条理さもあちこちで書かれているようですが、とりあえず「オウム関連」の専門家と言うことで、江川紹子氏の見解を紹介しておきます。 江川紹子ジャーナル 〜 社会のこといろいろ 〜 「この筋書きをどう読み解くか〜警察庁長官事件捜査のシナリオ〜」 (参照→http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_36.html) この時の逮捕の目的として、主に「警察内部の縄張り意識により、公安警察がこの事件捜査の主導権を刑事警察に渡さないため」として分析する姿勢は、極めて冷静で節度のあるものだと思います。 三省堂の「大辞林 第二版」によると、「公安」とは、 公共の安寧。国家や社会の秩序が保たれていること。 という意味だそうです。 およそ、我々が見聞きしているニュースの中で、「公安」を名乗る機関が上記の意味での「公安」に貢献している事例はほとんどない、と言わざるを得ません。 これほどまで何の役にも立たず、“害悪”ばかりまき散らしている機関が当たり前のように存在していることを、もっと多くの人が「変だ」と思わなければ、このような事件は今後も繰り返されるのではないでしょうか? あの、日頃はまるっきりやる気を見せない“後藤さん”が、「公安」だけは目の敵にするのも、こういう構図を最初から見切っていたからなのかも知れません(←この一文、意味がわからない方はスルーでお願いします・爆)。 念のため、上記の「大辞林 第二版」をもう少しだけ引いておきます。 【公安警察】 彼らにとっての「公安」が本当は誰にとって必要なのか、よくよく見極めていくことが大切です。 |
by hirokira1
| 2004-08-31 23:50
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