突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 08月 04日
自己認識と他者認識(上)
現在中国にて開催中のサッカー・アジア杯で、一部の中国人による日本バッシングの過熱ぶりが物議を醸している。
日本チームの試合に関連して様々な形で表現される過剰なまでの“反日感情”に対して、日本政府が中国に抗議したという。
度を超えた行為に対しては、毅然とした態度で是正を求めるのが当然だ。
ただし、日本の側も過剰に反応して、今回の騒動を中国全体の問題に広げ、中国人全体に対する反感を煽る動きがあるようで、このような風潮には断固として反対しなければなるまい。

今回の事件に絡めて、閣僚たちから原因を中国の“反日教育”に求める発言が出てきている。
このような発言は今回の問題を中国人全体の問題に安易に拡大するもので、上記のような風潮を後押しする危険性があり、好ましくないと思う。

少なくとも、今回の問題に関わる形で表明される“反日感情”は、中国人の大多数が持つ感情や価値観をそのまま反映したものではないだろう。

今中国で起こっていることは、例えば東京新聞の以下の解説に端的に示されている。
中国政府は反日感情が極度に高まるとメディアを通じて警告するが、政権幹部らが直接呼びかけることはない。政治手段として使ってきた「愛国心」を自ら制限した場合、反感の矛先が政府自体に向けられることを最も恐れているからだ。
(参照→http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20040804/mng_____kakushin000.shtml

政権幹部ですら(いや、この場合はだからこそですが)、“反日感情”を抑制する発言ができないのだから、いわんや一般市民をや、であろう。
インタビューに答える中国人の発言は、その大部分がいわゆる「公式見解」だと受け止めておくのが無難だろう。

このような「公式見解」が現在も幅を利かせていることをどう考えればよいか、ということについては以前の日記に書いたので、特に繰り返さない。
今回の問題について言えば、いわゆるフーリガンやそれに便乗する一部の熱狂的なファンの行動と受け止めるのが自然だと思う。
彼らが自分たちの行動を正当化する際に、中国では最も効力のある「公式見解」−反日のスローガンに便乗し、さらにそれに一部の政治団体などが便乗した、というところではないだろうか。

ひたすら騒動を追いかけ回すマスメディアの情報に踊らされて、これが中国人の大多数の意志を反映するなどと勘違いをするのは早計に過ぎるというべきだろう。

それにつけても、サッカーの試合会場やネット上の掲示板への書き込みなど、あまりに断片的な情報から中国全体を語ろうとする論調には、首をかしげざるを得ない。
逆の立場で考えてみれば、明々白々であろう。

2ちゃんねるの書き込みをつかまえて、「日本人全体の世論の閉鎖性と反中侮中運動の広がり」が主張されたとしたら?
日本人の集団買春事件をつかまえて、「日本人全体の品性の下劣さと中国に対する侮蔑意識」が主張されたとしたら?
日々繰り返される残虐な殺人事件の発生を捉えて、「日本人全体の残虐性と精神的未熟さ」が議論されたとしたら?

どれもあながちデタラメと切って捨てられないのがつらいところではあるが・・・(^^;

深い知識や理解を持たない外部の社会に対し、断片的な情報を振りかざして非難すれば、相手の社会からは「偏見に満ちた敵意」として受け止められる可能性は高い。
結果として、相互に感情を害し、関係の悪化とさらなる無理解という悪循環に陥る危険性極めて大であると言わざるを得ない。

そもそも、そのようなやり方で相手を非難するやり方は、相手の「不当な」対応と論理的には同質のものであり、結果として彼らのやり方を「正当化」するものである、ということに気づかないのだろうか?

もとよりそのような対立構造を維持・拡大したがっている連中につける薬はないだろう。
ただ、そのような目論見に一般の人々、つまり我々がうかと巻き込まれないよう、しっかりと事態を見据えていく必要がある。

その際、一つのキーワードになるのが「自己認識」と「他者認識」の違いだと思うのである。

ここから本題に入っていくはずなのだが、時間がないので続きはまた次回にということにしたい(大汗)。

ああ、書きかけのテーマが溜まってゆく・・・(苦笑)。
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by hirokira1 | 2004-08-04 21:17 | Cafesta過去ログ
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