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突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 07月 30日
センター試験訴訟と「強制連行」(中)
前回に引き続き、いわゆるセンター試験訴訟における「強制連行」問題批判について考えてみます。

b. このような設問は、「強制連行」が間違いであることを「正しく」知っている受験生にとって一種の「踏み絵」であり、信条に反する回答を一方的に強制されることは教育の中立性を損なうばかりか、憲法が保障する思想・信条の自由をも侵害するものである。

歴史的事実としての「強制連行」の是非については次回に譲るとして、ここでは「思想・信条の自由」の侵害との関係のみ扱います。





そもそもこの「センター試験訴訟」とは、センター試験の不適切な設問によって「当惑、動揺、精神的ショックなど精神的損害を受けたとして、大学1年生たち7人が7月7日、同センターに対して一人につき30万円ずつ計210万円の賠償金を求める」というものだそうです。
(参照→http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news_ct/ct_news_040709.html

彼らにとってはもちろん「強制連行」は間違いなのでしょうが、最悪でも「正しいとは言えない」ことが証明できれば、設問の不適切さを立証することはできます。
そういう意味では、この訴訟の根幹に関わるのがこのb.の論点ということができるでしょう。

ここまで考えて、私が思い起こしたのはアメリカで今も影響力を持つ、進化論・地動説を否定する動きです。
いずれも、聖書に書かれた神の事績のみを真理とする「キリスト教原理主義」に反する考え方ということで、教育現場でもあまり教えられない傾向にあるようです。
そのような価値観が受け入れられる社会では、進化論・地動説などを教えること自体が、いわば「信教の自由」を侵害されると受け止められがちです。

しかし、進化論は生物学や今はやりのバイオテクノロジー、地動説は近代以降の物理学の前提となる理論であり、その否定はそれらの学問を否定することにつながりかねない危険をはらんでいます。
大学が科学的な批判精神を養う場であるという理解に立てば、そのような科学の前提を否定するような学生がふるいにかけられるのは、やむを得ないのではないかと私は考えます。

それでも大学において「思想・信条・信教の自由」が保証されるべきだというのであれば、いっそ「つくる会」もこのような進化論・地動説を否定する受験生に愛の手を差し伸べるべきではないでしょうか?
日本にも、アメリカに比べればはるかに少数だと思われますが、そのような価値観を持つ人々はいます。
政治的に圧倒的に弱者である彼らを差し置いて、「強制連行」だけをクローズアップするのは、「つくる会」が毛嫌いする「不公正」に当たるのではないかと、気になって仕方がないのですが(苦笑)。

現実問題としては、「思想・信条の自由」を盾に個人の信条を社会全体に強要するのは、論理の倒錯と言わざるを得ません。
上記のような迂遠な例を持ち出すまでもなく、現在の日本の教育現場で問題になっている、日の丸・君が代に対する「思想・信条の自由」の侵害の実態を考えれば、何をまず問題にすべきかは明白です。
「つくる会」には、是非こちらの問題でも首尾一貫した主張を期待したいのですが・・・無理かな(苦笑)。

結局のところ、すべての問題は「強制連行」の是非に関わるわけです。その考察については、次回に譲りたいと思います。(続く)
by hirokira1 | 2004-07-30 22:24 | Cafesta過去ログ
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