突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 07月 14日
「選挙とメディア」、そして未来
昨日の日記で宣言したように、いきなり「すごろくモード」(爆)を使ってもよかったのだが、気になる文章を目にしたので紹介しておこう。

アサヒ・コムのAIC高成田享氏が書いている「選挙とメディア」
(参照→http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20040712.html

この文章は実は選挙前に脱稿したものであり、結果を見る前の段階での、今回の選挙に対する所見を述べたものである。ただ、選挙の「結果」を見た後で読み返しても、十分にその指摘は的を射ているように思われる。





高成田氏の論点を一つずつ引用してみよう。

第1は選挙の事前予測である。投票日の前に、どの党、あるいはどの候補が有利なのか、有権者の知りたい情報のひとつであり、メディアはこぞって、世論調査による予測を出している。ミニ投票ともいえる世論調査が選挙の前に許されるのは、有権者が投票をするのに役立つ情報であるからだが、まさに役立つ情報であるがゆえに、有権者がこの情報によって、投票行動を変えることが起きている。


ここで「投票行動を変える」こととして挙げられている内容が、氏の言う「バランス感覚」の範囲内であることがちと不満だが(もちろんそれが日本の現実なのだから仕方がない)、私自身はそのくだりを読みながらまるで違う話に出てくる文章の一節を思い出していた。

その話とは、星新一氏のエッセイ「東京に原爆を!」である。

星新一氏と言えば「ショートショートの神様」として知られているが、このエッセイは『きまぐれ暦』というエッセイ集に収録されており、ショートショートそのままの小気味よいテンポでの軽快な語り口は心地よい。

このエッセイの中に、次のような一節がある。

未来という言葉も、最初のころは新鮮だったが、だいぶ手あかがついてしまった。企業広告にさんざん使われてしまったせいだ。われわれのあいだでの最近の冗談は「未来はもはや過去のものだ」である。実際、そんな感じがするではないか。


未来を実現する前に、先取りして“浪費”してしまう光景は、もはやめずらしいことではないようだ。

将来の労働者の負担を先取りして“浪費”する「年金制度」
自らの支持基盤として「改革」の機運を先取りし“浪費”した「小泉純一郎」
そして未来の日本経済が生み出す(かも知れないし生み出さないかも知れない)収益を先取りして“浪費”し、火だるまのように借金を再生産し続ける「現在の日本の政治」

選挙における「事前予測」も、以上に比べれば些細な問題だが、やはり未来の“浪費”としてしか機能していないのではないだろうか?
未来の“浪費”は、もはやこの国の「モード」として定着してしまったのだろうか?

ちなみに「東京に原爆を!」の主題は別のところにあって、より衝撃的かつ有効に「未来」を先取りしようというもの。興味がおありの方は是非直接お読みください。


さて高成田氏の話の続き。

第2はメディアの今回の選挙に対する注目度である。新聞は律儀に選挙の企画記事を連日載せ、有権者の関心を高めようと懸命だが、テレビはやけにさめているという印象を受ける。ワイドショーと呼ばれる番組の案内を新聞で読んだり、ときどきは見たりしたが、参院選の話題は非常に少なかった。曽我ひとみさんと夫のジェンキンスさんや娘たちとの再会ドラマが茶の間の関心を集めたことが理由のひとつだろうが、スポーツや芸能、あやしげな社会事件などには、それなりの時間があてがわれたことをみると、「選挙は大きく扱わない」というテレビ側の意図があったとしか思えない。


この点については評価の分かれるところかもしれない。ただ、「政権交替を伴わない」ことを認めるにしても、向こう三年間国政選挙がないかも知れない深刻さを考えると、扱いを軽くすることはやはり問題があろう。

ここのところ何かと忙しく、ろくにテレビをチェックできていないので、この指摘が正しいかどうかは私自身では判断がつかない。できれば皆さんのご意見を拝聴したいと思う。

最後に、情報の媒介(メディア)という意味では、いまやインターネットが大きな道具になっているのに、いまだにインターネットが選挙に使えないことは、有権者の「知る権利」を妨害している。政党の具体的な政策、候補者の政治に対する考え方などを有権者に伝えるには、インターネットが非常に有力な手だてである。次回の選挙では、どの党派がネット利用についてどう考えているかを明確にさせて、ネット利用者にとって、敵と味方を峻別して、その観点から政党を追いつめていく必要があるだろう。


この点は全く賛成。選挙だからと興味を持って候補者のサイトを覗きに行くと「更新停止」のメッセージしか出せないというのは、選挙「妨害」以外の何者でもない。この時代錯誤の制限に込められた「隠された意図」を見極めて行かなければ。


そして結論だが・・・。

それにしても、投票が終わると、「選挙特番」などと称して、テレビ局は張り切るが、それなら、もっと事前に知恵と努力を払ったらどうか。新聞の企画記事もマンネリ気味で、えらそうなことはいえないが、政治が観るだけの劇場政治になれば、民主主義も崩壊する。


実を言えば、「民主主義の崩壊」への兆候はすでに見受けられる。
それは、「選挙特番」に対する視聴率である。

あちこちで報じられている、ビデオリサーチ発表になる各局の平均視聴率を挙げてみる。


NHK    18.5%
フジテレビ  12.3%
日本テレビ  11.5%
テレビ朝日  9.6%
TBS    7.8%

合計     59.7%


選挙自体の投票率(選挙区56.57%)をはっきり上回っているのである。
ちなみに昨年の衆院選では両者の数字はほぼ逆で、投票率の方がやや上回っていた。

投票率と視聴率は全く性質の異なる統計値であり、単純な比較は意味がないと言われれば、確かにその通り。
しかしながら、選挙での投票(=未来の実現)よりも特番の視聴(=未来の消費)が上位に置かれつつある傾向は、否定できないのではないか。
このような傾向が進めば、やはり「民主主義」は崩壊へと向かうだろう。

これはもはやメディアだけの問題ではない。
未来を消費する前に、どうやって未来を築いてゆくのか?
残された時間は、もう長くはない。

【追記・7/16 21:40】
本日(16日)の日記で書きましたように、視聴率における3%の違いは「統計学的な誤差」の範囲内でした。この数値だけをもとにして以上の議論をするのは無理がありますので、視聴率の統計に関する部分については主張を撤回するとともに、謹んでお詫びいたします。詳細については、16日の日記をご覧ください。
なお、以上の文章については恥を忍んでそのまま残しておくことにします。これを「他山の石」とし、同じ轍を踏まれませぬよう。
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by hirokira1 | 2004-07-14 22:01 | Cafesta過去ログ
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