突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 07月 12日
インターネットで広がる世界と狭まる世界・後編
いやぁ、時間がないというのはつらいものですね。
土曜の晩はろくに寝ないでお仕事、日曜の朝から所用で遠出したので帰宅した頃にはフラフラ、そのまま12時間爆睡して出勤・・・。
選挙特番見ることができなくて残念でした(←見なくていいって・笑)


さて、このテーマもそろそろまとめておかないと・・・(^^;。




国境や文化、価値観を超えた情報流通と対話のための道具として(少なくとも創り手には期待されて)世に送り出されたインターネットだが、その後の展開を見ると、必ずしもそのような方向には進んでいないように思われる。
むしろ、物理的距離の離れた、しかし価値観の類似する人々を結びつける道具として、積極的に機能していると考えたほうがいい。

よくよく考えてみると、「彼」や「彼」が敬愛するところのコンピュータ業界の人々にとっても、やはりインターネットは「価値観の類似する人々を結びつける」だけの道具に過ぎなかったのかも知れない。
初期においては、新規に参入することが可能だったのは「コンピュータに精通し」「アルファベットでの対話能力を持ち」「接続に必要な設備や回線を利用可能な程度には“裕福”な」人々だけだった。その中で如何に“地球規模”のコミュニケーションを展開しようと、結局は限られた集団の中の会話に過ぎない。

インターネットの一般社会への普及は、彼らが意識していなかった様々な人々を「インターネットの世界」へ取り込むこととなった。しかし実際には、それらの人々が等しく共通の空間で対話するということにはならなかった。いや、むしろ各々の価値観を共有する「限られた空間」へのアクセスを容易にしたという意味では、個々の価値観の「深化」と「断絶」を促進する方向に作用したと言える。

もちろん、自らとは異なる価値観に触れようとするとき、インターネットの技術はこれまでよりずっと容易にその手がかりを与えてくれる。お金を出して本を買ったり、直接現場に行ってその人に会ったりしなくても、ある程度の情報を得たり対話したりできるということは、それだけで素晴しいことには違いない。ただし、それは自分がそういう意識を持って行動する場合に限られる。大抵の人にとっては、自らと異なる価値観や世界に接することは重要ではない。そしてインターネットという道具は、そんな「重要ではない」事柄をすり抜けて自らにとっては心地のよい「限られた空間」にアクセスすることを容易にする。

「前編」において、「我々」も「彼」も「考え違い」をしていたというのは、まさにそういうことである。どんなに便利な道具であっても、それを使うのはどこまでも人間。道具はそれを使う人間の一面を強調して見せることはあっても、それ自体が人間の本質を変えるというようなものではないのだと思う。実際、インターネットも使う人が望む限り、より広い知見と交流の場を提供する。すなわち「世界を広げる」ことができる。逆に使う人が望まなければ、世界を広げるどころか、その人の持つ価値観をより“タコツボ化”する。すなわち「世界を狭める」方向に作用する。

インターネットの活躍の場が広まるにつれて、ある時はその効用が賞賛され、ある時はその害悪が批判される。が、それは道具としてのインターネットを理解しきれていないが故の、過剰な評価なのではないだろうか?

インターネットとは、どちらにせよ人間の価値観を強調する「拡大鏡」のようなものかも知れない。それを使うことによって世界を広げるにせよ、狭めるにせよ、その結果は自らの意識の投影に過ぎないとすれば、大切なのは各々がどのように「自らの意識」に自覚的であるかということなのだと思う。
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by hirokira1 | 2004-07-12 23:25 | Cafesta過去ログ
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