突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 07月 06日
インターネットで広がる世界と狭まる世界・前編
昔、ひょんなことから夜通しで議論する羽目になったことがある。
「インターネット」という言葉は広まったものの、実際に触れたことがない人の方がずっと多かった時代のこと。

議論のテーマは、「インターネットの普及は、世界の価値観を統合しうるか?」といったものだった。
グローバリズムの波に乗って広がるインターネットのネットワークは、やがてグローバリズムと合致しない価値観を淘汰し、最終的には英語によるコミュニケーションを前提とする価値観を共有した「地球社会」が実現するのではないか?
このような「問題提起」をした奴は、実際にはこのような某国お墨付きのお題目を信じるほど単細胞な男ではなかったので、如何にも「乗せられている」ことに対しては軽い不快感を覚えつつも、私を含めた一同は一応「真剣に」反論を試みたのであった。





私自身が覚えている範囲では、次のようなことを言ったように記憶している。

「長い歴史の中ではぐくまれた価値観がそう簡単に淘汰されるだろうか?
インターネットがもたらす対話機会の増大は様々な変化をもたらすだろうが、コミュニケーションの積み重ねはお互いの社会と価値観の相違を相互認識させるだけではないのか?
相互認識の敷居を低くするインターネットのようなツールは、結果として単一化より多様化を導くのではないのか?」


まだまだ青臭さの抜けない年頃だったが(今もそうか?)、それなりに面白い議論だったと今でも思っている。

さて、その結果についてだが。
決して価値観の単一には向かっておらず、様々な価値観が絡み合い続けているという点では、「我々」の方が正解に近いと言えなくもない。
まあ、仕掛けた「彼」も恐らくは承知の上だろうから、双方の想定範囲の中、ということなのかも知れないが。

ただ、その反面で双方ともに完全に「考え違い」をしていた部分もある。
当時の「インターネット」のイメージと実際の展開との間には相当のギャップがあったのだが、まだ青臭かった「彼」も「我々」もそこに気付かなかったのだった。

というわけで、この続きはまた今度(←思わせぶり!)。
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by hirokira1 | 2004-07-06 21:43 | Cafesta過去ログ
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