突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 07月 03日
戦争のバランスシートを考えよう
何時の間にやら戦争に「荷担」することに違和感を感じなくなっているような、今の日本。
もっとも実際問題としては、別に朝鮮戦争やベトナム戦争に「荷担」していなかったというわけではない。
ただ、その頃の日本は、少なくとも「戦争に荷担することは良くない」という常識が「共有」されていた。
その常識が既に消え去ったとまでは言わないが、はたして将来にわたって保持され続けるのかどうか、正直自信がないのだ。




いずれ起こりうる「戦争」に備えて、戦争を「許容」する国家体制に立て直すべきだと主張する人たちがいる。
「どんなことがあっても戦争はイケナイことだ」として、どこまでも「戦争」を否定し続けようとする人たちもいる。

両者の対立は、得てして戦争の「必要悪」を巡ってすれ違いを見せる。
戦争の「必要」に着目する人たちと、戦争の「悪」に着目する人たちの論争が、どこまでもかみ合わないのは当然だろう。
このような「すれ違い」は、特に「平和主義者」の活動に注目する時、顕著に見受けられる。

私は基本的に「平和」を目指す人たちの志には共感するが、「平和主義」に対してはやや懐疑的である。
「平和」とはあくまでも目標であって、イデオロギーの殻に囲い込むべきものではない。
「平和」とは、決して「主義」になどしてはいけないものなのだと強く思う。

もし戦争を「必要」だと主張する人たちに対して本気で再考を迫りたいのなら、「平和」を絶対視する価値観から距離を置くことが必要だ。
彼らの根拠である、戦争の「必要」性に踏み込んで、本当に「必要」なのかどうか、その真偽を確かめることが必要なのだ。

「戦争のバランスシート」を、本当に公平な立場から作成するのは難しい。
勝者は戦争の負の側面を抹殺しようと画策するし、敗者の叫びはしばしば封殺されるから。
日々流れてくるニュースのセンセーショナルな断片に惑わされず、どうやって客観的な「バランスシート」を作り上げるか。
見た目には派手な「平和主義」より大変で地味な作業だが、「平和」を目指す者にとってはむしろ近道だと思うのだが。

ちなみに個人的な印象だが、「バランスシート」をきちんと描けない人たちの多くは、戦争の負の記憶を「忘却」しようとやっきになっているように見える。
それが故意なのか、無意識的なのかは取りあえず問うまい。
ただ、こういう人たちに「平和ボケ」という言葉を「誤用」させないためにも、確固とした共通理解を築き上げることが必要なのだと、切に思う。
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by hirokira1 | 2004-07-03 22:37 | Cafesta過去ログ
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