突き詰めても、突き詰めても、つまりは不完全性思考
by hirokira1
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2004年 06月 25日
がんばれ、乙武〜「こんなメディアでした」より
今日は、「こんメディ」の中で乙武クンについて書かれたものを取り上げる。
第215回「私のバリアフリー」
(参照→http://homepage.mac.com/konmedi/2000_04_02.html
と第248回「公傷」
(参照→http://homepage.mac.com/konmedi/2001_01_22.html
がそれである。


彼のようにハンディキャップを持つ人が「普通」に生きていくのは、やはりそれなりに大変なことだ。
別にそれは、段差をスロープにしていないというような、いわゆる物理的な「バリアフリー」の遅れによるもののせいだけではない。
むしろ、彼が持っているようなハンディキャップを「普通」に受け止められない我々世間の「感性」によるところが大きいのではないか。

この2本の文章は、そんな状況の中、過剰なまでに「普通」であろうとする彼の抱えるジレンマがテーマと言えるだろう。
もっとも、特に『五体不満足』が注目された当初においては、それもやむを得ない部分があったと思う。
ハンディキャップがあっても「普通」に生きていることを書いた本がベストセラーになり、その作者として脚光を浴びてしまう。
周囲から求められる「普通」とは対極にある役割を、彼は持ち前のサービス精神で精一杯こなすしかなかったはずである。
不自然なまでにアピールされる彼の「普通」さは、そういう状況の中では“必然”だったといっていい。

ただ、そういった時期を過ぎて、マスメディアの一員としての生き方を選んだ後で、なおそのスタンスに“こだわり続ける”ことに、「こんメディ」の主は違和感を感じているように思える。
ここで問題になる「違和感」の根源は2種類ありそうだ。
一つは既に「普通」ではない自分の立場を受け入れられない、彼の感覚の不自然さ。
もう一つは、『五体不満足』を読んでもなお、ハンディキャップを「普通」として受け止めることのできない、世間の感覚の不合理さ。
前者は彼自身が自分で解決するしかない問題だが、後者は彼にはどうしようもない。むしろ、我々「世間」が解決すべき問題である。

まあ、500万部も売れた本の著者を「普通」に扱えと言うのは、いくら何でも無茶が過ぎるとは思うのだが。
「こんメディ」の主も言っているように、彼は随分「世間のリアクションをけっこう気にするタイプ」で、「メディアに対するサービス精神も旺盛」なのだろう。
きっと彼が抱えているジレンマも、その「サービス精神」が原因なんじゃないだろうか?
そう考えると、彼が「いいヤツ」のレッテルを振り払おうと頑張る分だけ、余計に彼が「いいヤツ」に見えてきてしょうがないのだが・・・。

本当に彼が「いいヤツ」イメージの呪縛から逃れたいのならば・・・
むしろ、徹底的にハンディキャップを「売り」にして、図々しくあちこちに顔を出し、言いたい放題言いまくるくらいの方がいいのではないか。
プロのスポーツライターとして生きていくのなら、そのくらいの図々しさは不可欠だと思う。
ジャンルは違うが、例えばホーキング青山のような「先達」もいることだし。
(参照→http://www.hawkingaoyama.com/
それこそが、マスメディアのような世界で自分の道を切り開く者にとっての「普通」なんじゃないだろうか。

がんばれ、オト君でもあり、いいヤツでもあり、『五体不満足・著者』でもある乙武。(←完全にパクリです。念のため。)

【関連リンク先のURL追記・6/27 21:30】
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by hirokira1 | 2004-06-25 22:11 | Cafesta過去ログ
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